三洋電機の子会社化が契機に

 エンジニアとしての雨堤氏の思想や行動が興味深い。筆者は2011年6月、雨堤氏と取材を通じて知り合った。今回のコラムの主眼は雨堤氏の思想や行動の紹介にある。一部門の中枢を歩んできたサラリーマンエンジニアの雨堤氏がリストラされたわけでもないのになぜ会社を去り、独立したかに非常に興味を抱いたからだ。

 雨堤氏は洲本市で生まれ育ち、岡山大学大学院工学研究科(無機工業化学専攻)を修了後、1982年三洋電機に入社。同市にある三洋電機(現パナソニック)のリチウムイオン電池の開発拠点で長らく勤務した。大阪市立大学で博士号も取得している。

 三洋電機時代は、「コイン型リチウム2次電池」「円筒型リチウムイオン電池」「アルミニウム外装缶採用の角形リチウムイオン電池」などの開発・量産で実績を上げた。パソコンや携帯電話向けに小型で軽量のリチウムイオン電池の開発を他社に先駆けて行い、「電池に強い三洋」の実績作りに貢献した一人である。

 しかし、パナソニックによる三洋電機の子会社化が決まったことを契機に2010年5月20日付で雨堤氏は依願退職し、技術コンサルタントして独立した。退職時の肩書はビジネス開発統括部長だった。同年6月、「Amaz技術コンサルティング合同会社」を設立、世界を飛び回っている。今回竣工した研究所はこの会社の一部門であり、正式な名称は「Amaz研究所」だ。「コンサルタントとしてお話するだけではなく、現地現物で自分たちが実際に新しい技術開発に取り組んだり、安全性を証明したりすることが必要だと感じた」と雨堤氏は説明する。