【対談】―― 高橋智隆 × 加藤幹之

タイミングのいい道草でした

加藤 高橋さんは小さい頃、どんな子供だったのですか。

高橋 智隆(たかはし・ともたか)氏
1975年生まれ。2003年に京都大学工学部卒業と同時に「ロボ・ガレージ」を創業。同大学内入居のベンチャー企業第1号となる。ロボカップ世界大会5年連続優勝。米TIME誌「Coolest Inventions 2004」などに選ばれる。現在、東京大学 先端科学技術研究センター 特任准教授や、大阪電気通信大学 メディアコンピュータシステム学科 客員教授などを兼任。
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高橋 特に、ロボット一筋というわけではないんです。小さい頃は、いろいろなことに興味を持っていました。ただ、基本的にはメカニカルな機械を使うモノが好きでしたね。今でも、ネットオークションでがらくたを買い集めています。

 メカに興味を持ったキッカケは、鉄腕アトムです。機械が詰まった内部を紹介する設計図のような図解を見て、ワクワクした。これが原点の一つです。工作が好きで、プラモデルを作ったり、ラジコンで遊んだりしていました。

 大人になってからの後付けの分析になってしまいますが、完璧主義なんです。何か作り始めると、ちょっと線が曲がっただけで気に食わない。癇癪ばかり起こしていて、面倒な子供だっただろうと思います。

加藤 でも、そういうところがメカづくりに向いていたわけですね。

高橋 そうでしょうね。改造が好きで。ラジコンでもプラモデルでも、とにかく改造したくなる。でも、子供だから壊してしまうこともよくありました。それは、今も変わらないんですが…。

加藤 分解したりするわけですか。

高橋 分解はしませんでした。例えば、プラモデルでジオラマを作る際に被弾した感じにしたり、ラジコン2台を組み合わせて1台にしたり。でも、小さい子のやることですから、必ずしもうまくいかないわけです。

加藤 そんなにものづくりに興味があったのに、大学は文系の学部を選んだ。

高橋 僕が大学に進んだ時期は、ちょうどIT(情報技術)バブルの頃です。当時は、ものづくりが軽視されている時代でした。「モノや情報を右から左に動かした方が儲かる」というような。理系の学部を出ても、結局は金融機関のような企業に就職する人が多かったように思います。そういう背景もあって、機械は好きでしたが、文系の学部に進みました。

加藤 小さい頃にカナダで過ごしたそうですね。

高橋 ええ。小学校1年生の頃から2年間、トロントで生活しました。でも、あまり記憶は残っていないんです。とにかく寒かったですね。英語も帰国してからすっかり忘れました。でも、当時は一人で現地の友人の誕生会に行ったりしていたので、それなりに生活していたんだと思います。

加藤 何か楽しかった思い出は?