高橋氏が高校を卒業し大学への進学を考えた時期の日本は、ちょうどIT(情報技術)バブルの最中。どちらかと言えば、ものづくりは軽視されがちな時代の気分があった。「理科系の学部を卒業しても、金融機関に就職する学生が多かったですね」と、高橋氏は振り返る。

グランド・キャニオンを登るロボット「EVOLTA」。高橋氏が開発した。(写真:パナソニック)
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 高橋氏は同じ世代にインターネット・ベンチャーの創業者が多い、いわゆる「ナナロク世代」である。パソコンや家庭用ゲーム機などを早くから手にしていた同世代の子供は、ITの道に進むことを選ぶ例も多かった。それも、高橋氏にとっては馴染みの薄い世界だったという。何かを作ることは趣味としては大好きな領域だったが、なかなか仕事には結び付かなかったのだろう。

 それでも、最初の大学卒業時点では、大きな企業、しかもメーカーへの就職を考えた。釣り具メーカーである。小学生の頃にブラックバス釣りに凝り、釣り道具のメカニカルな部分に引かれていたからだ。だが、最終的には一念発起して1年間の浪人生活の後、京都大学に進学し、やり直す道を選んだ。回り回って、小さな頃からのメカ好きという原点に戻ってきたわけである。

 京都大学に入学し、工学の道を進み始めた高橋氏の活躍は急ピッチだった。ロボット制作に情熱を燃やし、在学中から関連技術を発明している。大学と相談して特許も取得したという。卒業と共にロボ・ガレージを設立した。同社は、京都大学内に入居したベンチャー企業の第1号だ。

就業年齢を10歳引き上げたなら…

 なぜ、高橋氏が歩んだ回り道を、私が今の日本に必要だと感じたか。それは、高橋氏の話を聞きながら、知人の大学教授の持説を思い出したからだ。私が特任教授を務めていた慶應義塾大学 環境情報学部の熊坂賢次教授である。同教授は、日本の就業年齢の考え方を10歳引き上げれば、日本の高齢化社会の課題を解決する大きな糸口がひらけると語っている。

 現在の就業年齢は、義務教育が終わる中学卒業(16歳)から、企業を定年する65歳までを基本に考えることが多い。これを10歳引き上げて25~75歳と考え、パートタイムであっても高齢者による就職の道を作ることで、就業人口の減少問題はかなり解決されるはずというわけだ。

ハワイでトライアスロンに挑戦する「EVOLTA」。(写真:パナソニック)
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 平均寿命が飛躍的に伸び、70歳代になっても健康に働ける人々が増えている。それを望む人も少なくない。若年層がニートと呼ばれる無業者を形成したり、フリーターとして必ずしも自分に適した定職を持てなかったりする実態を見ると、15歳で義務教育を終えたら自分の将来を決めるべきという旧来の考えは明らかに破たんしているのではないか。そう思うのだ。25歳ごろを自分の将来の方向を決める一つの目安と考える熊坂教授の指摘は、複雑であると同時に、若者が様々な経験をしながら活躍できるチャンスがずっと広がった現代社会に、非常に適した考え方のように思う。

 もちろん、ロボット開発での高橋氏の成功は、彼自身の才能や努力によるところが大きい。京都大学進学後に、社会におけるロボットへの注目度が高まり、ロボット開発に専念できたという運にも恵まれたのかもしれない。ただ、なかなか進む道が見つからないという思いを抱いている多くの若者たちに、回り道の選択を許す社会システムを築くことは大切なことのように思える。

 少なくとも、高橋氏は大学に再び入り直した後に水を得た魚のように、ロボット関連の開発で活躍し、関連のコンテストで多くの賞も受賞した。自らが進むべきロボットクリエーターとしての道を確認することができたのだ。今の常識から考えれば回り道に見えても、20代半ばで本当に自分を発揮できる道を見つけられたことは大きかったはずだ。

 高橋氏が歩んだ道は、日本の若者に活躍の場を与える一つのアイデアを実証したものだったと思えるのである。

(次のページは、高橋氏に聞く「回り道を選んだ理由」)