微創新に対する反論

 シュンペーターによるイノベーションの定義から、微創新はイノベーションではないと主張する人もいる。すなわち、イノベーションとは、物事の「新しい切り口」と「新しい捉え方」によって社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす変革を意味することであり、決して既存の商品やサービスの多少の改善といったレベルではない、という主張である。例えば、米Apple社は、単純にヘッドホンステレオ「ウォークマン」に対する品質/機能/使いやすさを改善するのではなく、ウォークマンと全く違ったネットダウンロードという新たな音楽視聴スタイルを創り出した。スマートフォン「iPhone」も、電話の再定義となった。

 彼ら彼女らの主張に基づけば、イノベーションは簡単に誰もができることではない。そこには、満足させることが困難な要件が求められるからだ。その1つが、必ずオリジナルであること。既存の製品・サービスの単なる改善や見直しではなく、新たなユーザー体験を創造し、既存の製品・サービスを完全に入れ替え可能なものでなければならない。つまり、「斬新な価値を生み出せないとイノベーションとは言えない」「イノベーションは決して簡単にできるわけではないから、社会変革と経済発展の大きな原動力となる」という主張だ。

 「微創新」がイノベーションであれば、極端に言えば「何でもイノベーション」「誰でもイノベーター」ということになってしまう。それは、イノベーションという表現の濫用にすぎず、イノベーションの本質をごまかし概念を混乱させる恐れがあるとの指摘もある。さらに、そうした表現を使うのは、自らのコピー行為を正当化するための隠れみのではないかという厳しい批判もある。

 もちろん、イノベーションは小さいところから始まる。しかし、インターネット・サービス・サイトの「Google」やSNSサイトの「Facebook」の成長・発展が物語っているように、最初は不完全でシンプルなものでも、そのアイデア自体に革命的なものがなければイノベーションは成立しない。「微創新」に甘えれば、真のイノベーションの意識が薄れることになってしまうのだ。少しの改善でもイノベーションと呼ぶ現状について、イノベーションの本質が失われていると訴える中国の有識者もいる。