「Tech-On!」は名前の通り技術を論じる場である。それは承知しているが、技術を作るのも、技術を使うのも人である。人抜きでは技術は論じられない。しかし、日ごろ接する技術者は熱く技術は語るが人まで語れる方が少ない。確かに、年配になると人を語る方も増えてくる。多くは、憂いである。

 年配の大学人は特殊な立場にある。年配の技術者であるが、日常的に20代前後の若者に接している。この立場から、21世紀の人、特に未来の技術者について考えよう。

 最近、大学も国際化が著しい。しかし、ここでは日本人の学生に焦点を当てよう。グローバルには特殊だというご意見もあろうが、少し言い訳をさせていただく。私の学生時代、憧れは欧米であった。いつかは、ニューヨーク、パリで仕事をするということが夢として成立した。しかし、現在の多くの学生さんにとっては違和感がある。

 ご承知のように、日本はGDPで世界3位であるが、世界の憧れは日本である。安全で安心、貧富の差が少ない国である。蛇口から水が飲め、夜道を一人で歩ける。3G(第3世代)の高速通信網が全国に行きわたり、航空網、鉄道網、道路網が整備されている。国の隅々までコンビニエンス・ストアが設置され、24時間サービスを行っている。どこでも自動販売機があり、“お財布ケータイ”で決済できる。もちろん、電車にも、飛行機にもお財布ケータイがあれば乗車できる。こんな国は、日本しかない。その意味で、日本は世界の憧れである。

 少子化である。経済が発展すると少子化となる。開発が進んでいない国では、子どもが多いほど親は楽である。子供が働いて、親を助けてくれる。逆に、進んだ国では子供がコストとなる。日本国内では、大学までの教育費が一人当たり2000万円と言われている。生涯賃金が2億円とか3億円とか言われる中で、子どもが4人いれば教育費だけで8000万円。少子化にならざるをえない。その意味で、日本は発展登場国の問題を先取りしている。中国、韓国はすぐに日本以上の少子化に直面する。シンガポールは既に直面している。いずれ、タイやインドネシアも直面せざるをえない。その意味では、現在の日本の技術者の状況は、世界の技術者の未来と深く関わっている。その意味で、現在の日本の技術者モデルは、将来の世界の技術者モデルの下敷きになる。

 言い訳はこのぐらいにして、本題に帰ろう。20世紀に始まった電子化と少子化は社会を大きく変えている。エアコンが整備された個室が与えられ、親に塾や部活の送り迎えもしてもらっている子供たち。世界で一番恵まれている。同時に、世界で一番甘やかされている。親が愛を注ぎ大事にすればするほど、子どもは生存競争である現実社会の厳しさとのギャップに悩む。

 大学は教育機関のアンカーである。卒業すれば社会人。親の愛と社会の厳しさとが入れ替わる場所である。そこには、シュウカツと卒論という二つの壁が存在する。いずれも、口を開けているだけでは誰も餌をくれない。自分で汗を流し、失敗を糧とし、自分で工夫しなければならない。餌となるものを自分で見つけ、自分で狩りをしなければならない。それは生きることであり、自分を見つける旅でもある。

 壁を越えて、一回りも二回りも大きくなる者もいれば、壁を越えられない者もいる。前者は贅沢を知りながら、自分で考えることができる人材であり、いつの時代にも貴重な存在である。このような人材を生み出すことが昔からの大学の一義的な役割である。

 もっとも、最近は壁を越えられない学生のケアの方に時間と労力を取られる。話を聞き、助言をする。それでも、努力できない学生、努力しても壁を越えられない学生を多数見てきた。私の力が足りないのか。その通り。力があれば、越えられない学生を助けられるのか。否。ご承知のように、これは自分で動かない限り越えられない。万策尽きれば、見ているしかない。本当に、自分から動けない学生を見ていることは歯がゆいし、悲しいことである。

 受験勉強が過酷だから、誰でも大学に入れるような政策が進められた。肉体労働が大変だから、機械化を進めて人類を肉体労働から解放した。しかし、単純労働から解放された人類には、高度な知識労働が求められている。それに答えるには、切磋琢磨しかない。それについていけない学生は苦悩を深めている。分かっているのは、どの時代でも生きることが大変なことである。そして、大変なことをすることが生きることであり、生きる喜びであるということである。

 大学で十分指導できなかった学生も社会に出て行く。そんな学生に技術者として生きる喜びを教えてください。自分の力足らずは棚上げにして、伏してお願いします。元学生さん、そして今の学生さん、生きることは大変なことです。しかし、大変だから辛く、悲しく、寂しく、面白く、楽しくものです。起伏があなたの人生です。技術を生み出すのはあなた方です。