2000年12月1日に発売した、世界初の無線テレビ「エアボード」。本連載の第1回で紹介した通り、エアボードは開発部隊のメンバー全員の大変な努力で完成したものといえる。当時を振り返ってみると、開発チーム全員の残業時間は並大抵のものではなく、発売の半年前からほとんど自宅に帰れないくらいの状況で頑張ってくれた。新しいカテゴリー商品を生み出しているという誇りが、開発チームの皆を駆り立てて成し遂げてくれたものだと思う。

 ここで、第1回に引き続き、エアボード開発の経緯をいくつか紹介したい。私自身、家電メーカーの技術者にとって最も重要なのは、商品企画(プロダクト・プランニング)の能力を身に付けることだと考えている。このため、エアボードの開発を開始する際、開発チームの部下には、「無線でテレビが視聴できる」「インターネットに簡単にアクセスできる」という二つの基本コンセプトしか伝えなかった。細かい仕様や実現技術は部下たちに決めてもらうことにした。いわゆる「幹は決めるが枝葉は決めてもらう」という癖を身に付けさせようとしたのである。

導入を反対した機能もあった

図1 「CEATEC JAPAN 2000」で披露された「エアボード」には黒山の人だかりができた
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 エアボードの詳細仕様を決めていく中で、私が当初反対したものの、最後は開発チームの意見を取り入れて良かったものが二つある。日本語の予測変換入力機能とプリンター接続機能である。反対した理由は、基本機能に注力すべきであり、これら二つの機能を加えることで複雑になってしまうことを嫌ったためだ。

 特に躊躇したのは、予測変換入力である。開発チームの部下が導入しようと提案してきたのは、ソニーサイエンス研究所に所属していた技術者が開発した「POBox」。当時、開発されたばかりであり、デジタル家電に搭載された前例もなかった。辞書に登録されたデータは少なく、最終商品として満足できるレベルとは言い難いものだった。もちろん、研究所から開発部門(事業部)に技術移管されていない。これらの理由から、「搭載はまだ早い」と判断したのだ。

 結果として、どちらも開発メンバー全員の熱意に押される形で導入を認めたのだが、それで正解だったと思う。私が特に難色を示していた予想変換入力では、部内に辞書の専門チームが自発的に立ち上がり、メールを受信しながら辞書に登録する用語を増やしていくという地道な作業を繰り返していたようだ。これらの結果を含めて、POBoxの搭載を何度も頼みに来たのである。とうとう根負けする形で、通常の『かな漢字変換』を搭載することを条件に許可したわけだが、その瞬間に皆がハイタッチして喜んでいる姿は今でも私の脳裏に焼き付いている。この諦めない心が、商品開発に重要なのである。

まだ諦めないのですか?

 エアボードの開発には、数多くのトラブルもあった。2000年9月に開催したエアボードの商品発表会と、直後に開催された第1回の「CEATEC JAPAN」で注目を集めている際に起きた一つの“事件”を紹介しよう。

 商品発表会後のある土曜日の朝、重要なソフトウエアの開発を担っていた1人のエンジニアから「マネージャーの皆様、まだ(2000年12月1日の)発売日は諦めていないのでしょうか?」というメールが管理職以上に送られてきたのだ。このメールに私は驚き、その日の午後に関係者全員を集めたのを今でも記憶している。

前田 悟(まえだ さとる)
エムジェイアイ 代表取締役
1973年、ソニー入社。電話回線を介して情報をやりとりするビデオテックスやコードレス電話機などの新商品の企画・開発に携わる。世界初の無線テレビ「エアボード」や遠隔地からテレビ番組を楽しめる「ロケーションフリー」などを開発。2007年にケンウッドに移籍し、2008年にJVC・ケンウッド・ホールディングス執行役員常務。2011年6月に退任。エムジェイアイ株式会社設立、製品企画・経営コンサルタントを行う傍ら、複数企業の社外役員・アドバイザーも務める。 Twitterアカウント:@maedasatoru