ある企業から、中国工場に問題点が多いので、一度現場を診てもらいたいとの依頼を受け、華南に飛んだ。当地に工場を構えてから10年になるというが、未だに品質問題が多発しており、本社から指摘を受けているとの事である。

 工場に到着するや、さっそく工場を一回りした。製品についてだが、コア部分の設計は本社が行っているものの、他の部品と接合する部分である取り合い部に関しては顧客ごとの個別対応になっており都度設計している状況に近い。このため、現場の作業員は取り合い部の図面をみながら加工、組立を行うため、ヒューマンエラーが発生しやすく、これが品質問題に直結する。

 事務所にあがり、品質管理の担当者に質問。過去の不良履歴は一覧で整理されていたが、品質改善の取り組みには何も手がついてない。それ以前に、不良履歴を整理するのが自分の役割と思っている程度で、品質管理の役割が何かを理解していないようだ。同時に製造部長とも面談した。まだ30歳そこそこで、日本語は流暢であるが、管理職になって1年との事。以前は頼りになる製造部長がいたのだが辞めてしまって、プロパーの彼を抜擢したと総経理から説明があった。

 この会社も多くの日系企業が抱えている構造的問題から脱却できてないと確信した。一言でいえば、管理要素の多い生産特性を持ちながら管理人材が脆弱である。10年近く中国の日系企業の現場を見てきたが、長期雇用を前提とした人材育成と管理・監督者、スタッフの自主性に期待する日本的工場運営は、中国では機能しないと考えている。

 雇用の流動性が激しい中国では、長期的視点にたったプロ人材の育成は難しい。かつ、高いロイヤリティを背景にした問題解決(改善)を期待するのも難しい。どちらかち言うと組織の利益より個人の利益を重視する文化をもつ。同僚間での問題の指摘合いは、大儀があったとしても面子を壊す事にも繋がり、機能し難い。評価が伴う上司からのトップダウンでないと動かないのである。

 格差社会があたり前の欧州系企業の工場運営は、日系企業とはまったく違った手法で行っている。ハードウエアは本国で確立した設備を持ち込み、ソフトウエアはマニュアルの運用遵守に留めている。管理は、現地人材の扱いになれた、現地管理者に任せている。問題解決は本国出身のエンジニアが行っている。格差社会が進んだ社会では製造部門には、優秀な人材は集まりにくい。そうであれば、難しい事を要求せず、作業や製造条件を簡素化マニュアル化し、現地人材を活用にする事に徹した方が有効である。人材の優秀性、経験に依存して小改善を繰り返してきた日本的ものづくりを、日本国内と同様に中国の工場運営においても行っている日系企業は、そろそろ意識転換を図る時期にきているのではないか。