巷ではスマホかタブレットかが姦しい。情報端末については、1995年と1997年にオーム社から出版した著書「ハロー!PHS」および「たまごっち学術考」で将来予測を行った。前者は、電話がデジタル化されると話すための電話では無くなり、無線デジタル通信網となるという予想である。後者はたまごっちサイズの情報端末の未来予測である。位置情報、個人情報に特化した情報端末が生まれるというものである。一般受けはしなかったが、プロの皆様には評価頂いた。お陰で今でも、情報端末開発の相談を受ける。

 これらの予想は2012年である現在でも古くなっていないと思う。もっとも、いくつか読み間違いもある。一つは電池の急速な発達である。1995年当時、携帯電話の電池は数日しか持たなかった。だから、低消費電力のPHSが有利だと思った。しかし、省電力ゆえに途切れやすいPHSは青息吐息なのに対し、携帯電話は100Mbps越えを狙うところまで発展してきている。17年前には想像もつかない現況である。

 もう一つ外れた予想は携帯電話のための利用周波数拡大である。このため、スマホにも、タブレットにも、PCにも携帯電話搭載という現況になっている。つまり、携帯モジュールを搭載した様々な端末が携帯電話の基地局を通して連携している。いわゆるクラウド化である。

 最後にタッチパネル普及も考慮外であった。視覚表示には最低スマホ並みのサイズが必要であり、持ち運びにはタブレットのサイズが限界である。それで、スマホかタブレットかの論争が姦しくなっている。使う側から見れば、スマホ、タブレット、大型ディスプレイを状況によって使い分けしたいだろう。

 この使い分けと端末の小型化が頭にあり、両書では携帯端末は可搬型無線基地局になるという将来像の下で構成されている。現在の機器で近いものはWiFiルータである。公衆通信サービスを担う端末がハブになって、そこを基地局に様々なWiFi無線端末がつながる世界である。一台の携帯端末に多数のBluetooth機器がつながったPAN(Personal Area Network)という感じの方が分かりやすいかもしれない。

 このように考えた理由は、先に述べた電池の持ちと無線通信の帯域の有限性である。人口の何倍もの機器が携帯電話基地局と通信を行っては回線が不足する。だから、一人一台のWiFiルータに制限した。合わせて、通信が高速化すれば電気の消費量が増えて電池が持たない。だから、大容量電池込みのルータと省電力無線機器によるPANという構想である。もっとも、回線不足と電池の容量不足は携帯電話事業者、ユーザーにとって深刻のようである。つながらない携帯端末では意味をなさない。その意味で、17年前の予想は現在進行形だと思っている。

 WiFiルータ化とは携帯電話のフェードアウトである。携帯電話がインフラ化して、ユーザーの目に見えなくなるということである。ユーザーは身勝手、通信が続くことは当たり前。しかし、通信が途絶えれば怒る。決して誉められることはないインフラ事業者である。電気通信大学も同じである。20世紀に持てはやされた電気通信も、幼稚園児まで無線環境に浸っている21世紀には色あせて聞こえる。今が正に電気通信の時代である。

 閉話休題。携帯電話が見えなくなると、主役になるのはディスプレイやハンドセットである。人がコミュニケーションを取るには、これらが不可欠である。公衆無線網を通した情報はWiFi端末を経由して、スマホやタブレットに表示されることを想定していたが、現状はWiFi端末抜きでの連携に走っている。これはクラウド技術である。クラウドはある意味ではデータの集中管理である。各端末はクラウドを通してデータを同期させている。この同期をクラウド抜きでも行いたい。簡単な話、端末同士の同期である。既に赤外線通信やBluetoothを用いたデータ交換は携帯端末でも可能である。それを進めて自動同期をして欲しい。

 さらに小型化の進展を考えると、現在の携帯電話やスマホより小さな端末に焦点を移したい。視覚には大型ディスプレイやタブレットかもしれないが、他の五感にとっての最適サイズは如何ほどだろう。特に、聴覚、触覚が現実的だろう。電話はかって聴覚のインターフェイスであった。だから、Bluetoothハンドセットという形で製品化されている。考える余地があるのは触覚利用である。特に、スマホや携帯電話に搭載されている振動の高度利用化である。震える、揺れる、脈打つ。人から端末への生体情報伝達。端末から人への生体情報偽装。たまごっちの世界である。それは、フリックやタッチの指示の世界と生体情報の世界の狭間を利用したインターフェイスかもしれない。