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HOMEスキルアップマネジメント日中経済交流の現場40年 > 周恩来総理、毛沢東主席が相次いで死去した激動の1976年

日中経済交流の現場40年

周恩来総理、毛沢東主席が相次いで死去した激動の1976年

  • 片寄浩紀=日本国際貿易促進協会 相談役
  • 2012/05/16 00:00
  • 1/1ページ

忘れ難い1976年

 1976年は今振り返ってみても最も忘れ難い年であった。1月周恩来総理死去。7月朱徳総司令死去、唐山大地震発生。9月毛沢東主席死去。10月四人組逮捕。これにより10年に及んだ文化大革命が終了した。

 私自身にとっても忘れられない年になったのは、企画段階から私が参画し、実施も担当した当協会主催の日本環境保護・油圧空気圧展覧会(環境・油圧展)が同年10月北京で開催されたからである。

環境展と唐山大地震

 1976年7月28日、環境・油圧展の展示品を積んだ船が横浜港を出港した。港から事務所に帰ると、NHKが「中国で大地震が発生した」と伝えているという。唐山大地震である。船の目的港である天津新港は使用不能、北京も余震がひどく、展覧会受け入れ機関の中国国際貿易促進委員会の職員も出勤していないこともわかってきた。その間も船は天津に向けて航行中。荷主(当協会)の都合で船を止めれば荷主が停船費用を負担しなければならない。「非常事態にあればあるほど、信義が第一だ、中国側とどうしても連絡が取れなければ、当方が経済的損失をこうむるとしても、船は止めるべきだ」という宮石林治事務局長(故人)の決断で議論は終結した。幸いなことに船を止める前に中国側と連絡が取れ、船は青島港に向かうことになった。国際ビジネスで最も大切な一条を学ぶことができた。

 死傷者26万人という地震の被害状況について当時は発表されなかった。復興は自力で行うとして、中国は外国からの援助は一切辞退した。唐山火力発電所の発電機据付に従事していた日立製作所の技術者2人と関係商社新日本通商の職員1人が被災し死去した。

毛沢東主席の死去

 地震のため展覧会を1カ月延期し10月5日開幕とすることになった。ところが9月9日に毛沢東主席が死去し、全国が喪に服した。しかし「国際活動には影響を与えない」として、展覧会は再延期しないことになった。私は先発隊として9月16日に北京に行った。全市民が喪章を着用していた。9月18日に天安門広場で挙行された100万人の追悼大会はテレビで見た。宿舎の北京飯店の窓から見ると、長安街を通り追悼大会に参加する人々の隊伍が早朝から途切れなく続いた。私語は一切無く、聞こえるのはすすり泣きと咳の声と靴の音だけであった。その後、われわれは人民大会堂に臨時に設置された祭壇に案内され、毛主席の遺容を礼拝した。

四人組の逮捕で文革終了

 10月5日~18日の環境・油圧展の開催中、これもNHKのニュースで「中国でクーデターがあったらしい」ことが伝えられた。閉幕後に会場の撤収作業を行っているさなかのある日、突然「四人組打倒!」の張り紙がいたるところに張り出された。

 10月24日には1カ月前と同じ天安門広場で今度は「四人組打倒100万人慶祝大会」が挙行された。われわれ外国人も招待され、天安門上で手を振る軍服姿の華国鋒主席を初めて仰ぎ見た。歴史転換の一こまであった。

 1978年の改革開放以後「経済成長第一主義」が中国の長期の国策となり、環境保護は後回しとなった。30年以上経過した現在になって、中国は環境問題に本腰を入れるようになり、日中経済協力においても環境保護が重要テーマになっている。

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