自動車産業ではこれまで、「プラットホームの共有化によってコスト削減を狙う」としばしば言われてきた。プラットホームという概念自体が各社によってバラバラではあるが、アンダーボディーなど車の骨格的なものの一部を共有化する(一つのプラットホームで派生車種を多くつくる)ことで開発投資を抑制する狙いがあった。

 しかし、こうした従来の開発手法に限界が来ている。その大きな理由は、多様化する顧客の価値観にきめ細かに対応しなければならなくなったからだ。2008年のリーマンショックを境目に中国や南米など新興国市場が急激に拡大し、市場のニーズの多様化が加速した。「車は文化」と言われるように、乗り方や求められる品質などは地域や国や道路環境によって違ってくる。これまでのプラットホームの共有化では、製品の多様化とコスト削減という二律背反的なことを同時に進めるのには限界が出始めているのだ。

 工場で生産された段階の品質チェックで太鼓判を押された製品であっても、お客が求める品質水準と一致しているとは限らない。お客が求めている水準以上のものをつくればそれは過剰品質であり、以下のものをつくれば不良品である。当然、品質に対する顧客の価値観は地域や国によって違う。また同じ国や地域であっても所得水準など経済環境の差によっても違ってくる。過剰品質に陥れば利益は出にくいし、不良品を売れば顧客は逃げて売上は落ちる。

 工場で検査される品質は「製造品質」、顧客が求める水準の品質は「価値品質」だ。そこのバランスを取る力が収益力を左右する時代になった。そして「価値品質」を向上させていくには、設計の発想やプロセスを抜本的に変えていく必要がある。

「価値品質」づくりが苦手なニッポン

 これまでの日本の自動車メーカーは「製造品質」では世界を席巻してきたが、多様化した世界市場の中で「価値品質」が一流かと問われれば、筆者は疑問符を付ける。BRICS市場における日韓独のトップメーカーの販売台数(2010年)がそれを如実に物語っている。日本のトヨタ自動車がやっと100万台を超えたのに対して、韓国の現代自動車は約170万台、ドイツのフォルクスワーゲン(VW)は300万台に迫る勢いである。

 トヨタだけに限らず日本勢は「価値品質」づくりが苦手だ。日本の自動車メーカーは北米市場で「ピックアップトラック」「ミニバン」「SUV」などの大型車をつくれば飛ぶように売れ、それらが利益面でも多大に貢献してきた。セダン系乗用車も北米市場に合わせて高級大型化してきた。

 そこに安住してきた面も否めない。その結果、「多品種少量生産」「フレキシブル生産」といったものづくりの現場での多様化対応能力でさえも、いつの間にか劣化した。日本の自動車メーカーがもともと強かった分野だが、北米で売れる新車開発にリソースが集中的に投入されてきたため、単一車種しかつくれない製造ラインも生まれた。

 こうした現状についてトヨタの豊田章男社長は「トヨタはいつの間にか車ではなく『お金』をつくる会社になった」と反省の弁を述べたことがある。「『お金』をつくる」とは、金儲け優先主義になって、多様な価値観のお客に顔を向けた商品をつくっていないという意味である。

 前述したように新興国市場の台頭により多様な消費者の価値観に対応しなければグローバルにシェアは取れない時代になった。トヨタはやっとこれに気づき、これまでの車つくりの基本戦略を開発の生産の両面から大幅に見直し始めた。急激に進んだ円高もそれを加速させた。製品の多様化とコスト削減という矛盾することを同時に展開しなければトヨタといえども、生き残ることができない時代に突入したのである。