村井 夢中になると必ず親に止められるんです。あまりにも極端だから、何かを始めると3日間寝ないとか、部屋の掃除もしないとか、食事の時間になっても部屋から出ないとか、他のことは一切やらなくなるわけ。だから、アンプの製作についても、音楽を聴くことについても止められましたよ。「こんな音楽ばかり聴いていたらいけません」とかね。

 中学校ではサッカー部に入りましたが、これも夢中で朝から晩までサッカーばかり。サッカーの格好で登校して朝練をして、そのまま授業に出て。その時もサッカーしかやらないから、やめろと。

 勉強もそうです。中学3年生になった時に一念発起して慶応高校を受験しようと思い立った。でも、当時通っていた中学校では合格したら5年に一度の快挙という感じだったんです。

 それで、作戦を立てた。受験科目の3教科だけを勉強することにした。他の教科の授業中はさぼって、受験用に内職をしていました。サッカーのユニフォーム姿で受験参考書を机の上に広げているわけで、先生からしたら本当に嫌な生徒だよね(笑)。同級生は300人くらいいて、3年生に進級した時点の成績は二百何十番で後ろから数えた方が早かったけれど、卒業する際には3番になりました。勉強し過ぎて鼻血が出ましたからね。でも、今度は親に「身体を壊すからあまり勉強するな」と言われた。それでは、何をしたらいいのだと(笑)。

 夢中になってその方向に進もうとすると、「ちょっと、やめておきなさい」とストップがかかる。これは日本の教育の問題だと思うんです。好きなことに没頭しようとすると、「学校の宿題やったの」と言われるので、子供は好きなことをやってはいけないんだと考えてしまう。すごく面白いことを死ぬほどやろうとするとブレーキがかかる。僕は「いくら言われても、やっちゃうもんね」と考えるタイプだったからよかったけれど、そういう子供は少数派でしょう。

加藤氏。
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加藤 熱中すると手が付けられないタイプだったというわけですね。

村井 すごく偏屈で変わった子供だったと思います。そんな中で今でも重要だったと思うのは、小学校5年生から参加したYMCAのキャンプです。夏に2週間を子供だけで過ごすんですが、そこで人とのコミュニケーションや、集団生活で組織をまとめること、リーダーシップを学びました。水泳や登山を一緒にやる中で嘘をついてごまかしたり、いい格好をしたりはできなくなる。裸の人間として付き合うしかない。大学生になって、野外活動の指導者として米国にも行きました。これが、僕の国際体験の原点です。

加藤 すごくいい体験をしていますね。これからも日本が村井さんのような人を輩出するには、どうすればいいのでしょうか。

村井 教育の枠組みをきちんと考え直す必要があると思います。AO(アドミッションズ・オフィス)入試などを先駆けて導入した慶応大学の湘南藤澤キャンパス(SFC)を設立したのもそういう思いからです。SFCでは、従来の大学受験の枠組みを取っ払いたかった。学生を選ぶ学校側の負担は増えますが、「高校までは好きなことを夢中でやっていたので、通常の入試では合格しません」というエッジの効いた面白い学生に入学してほしいわけです。

 教育の内容に国が口を出さないということも大事でしょう。もちろん、誰かが教育に責任を持つ必要はあるけれど、その主体は民間企業でも私学でも構わない。「国が決めた学習指導要領で教育を進めてきたから、戦後の日本はこれだけのことができた」という考え方と、「これだけガチガチの指導要領で面白い人間が出てきにくい社会にしても、日本はここまでできた」という考え方があるとすれば、僕は後者が正しいと思う。だから、変えていく必要がある。

 「科学技術立国」と国は旗を振っていますが、一方で高校までに学ぶ情報技術分野の科目の重要度は低下する傾向にあります。将来のイノベーションにつながる若者の成長を、国が止めてしまうのは良くない。そう思うのです。