村井 歌詞の意味は分かっていませんよ。タイプライターのメカニズムが面白かったんでしょうね。とにかく夢中になるタイプの子供で、当時のラジオで流れていた洋楽のベストテン番組を聴いて、「投票数が何票で何の曲が1位になった」とか、そういうことをノートに書き付けていました。

加藤 大学時代はブルース系のバンド活動をしていたそうですね。どちらかというと、芸術創作系の印象のエピソードが多いですが、技術との接点は。

村井 『子供の科学』をむさぼるように読んでいたので、科学好きだったのでしょう。その後は『初歩のラジオ』や『ラジオの製作』。自分の部屋の床から20cmくらいはそういう雑誌で埋まっていました。『子供の科学』の上を歩いてドアにたどり着くような。

 実は、1990年代後半に『子供の科学』から「中学生向けにインターネットの話を書いてください」という原稿の執筆依頼がきたんです。本当にうれしくなって、原稿料はいらないからやりますなんて言っちゃいました(笑)。ついに『子供の科学』に文章が書けると。でも、すごく難しかったですね。結局、その時は分かりやすく書くことはできなかった。まだ子供向けに書くなんていうノウハウを持ち合わせていなかったですね。

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加藤 アマチュア無線には興味がなかったのですか。

村井 僕はアマチュア無線よりも音楽が好きでしたから、ステレオ・アンプを作る方向に進みましたね。当時のアンプは高価だったので、自分の小遣いでは買えないから自作するしかない。母親が音楽家なので、家にはオーダーメイドの「電蓄(電気式蓄音機)」がありました。当時、レコード・プレーヤーと、山ほどのレコードがある家庭はそれほどなかったと思うので、恵まれていたのでしょう。

 その電蓄を修理するために、ときどき来訪する技術者の作業を間近で見ていました。だから、自分でアンプを作ることにも抵抗感はなかった。いつの日か真空管アンプを自作しようと、秋葉原に通い始めるわけです。秋葉原に行く前日は、夜も眠れない。でも、親には「行くな」と止められたりするのですが。

加藤 村井さんの原点が見えてきた気がします。モノを作りたい。そして、インターネットはやはりコンテンツが重要なのだと思います。インターネットで成功している人は、コンテンツの感覚がある人が多いですね。

村井 なるほど。その通りですね。ステレオを自作する秋葉原少年は2種類いました。まず「良い音がしないと気が済まない人」。そして「聴きたいものがある人」です。音楽用のカセット・テープが発売された当初、「僕はこれでも音楽を楽しめる」と友人に話したら、すごく文句を言われました。「こんないい加減な音の技術を便利だからといって使うのはダメだろう」と。オーディオ・マニアにとっては、音が悪いのは屈辱的なことなんですよね。

 でも、僕は悪い音でも音楽を楽しむという考え方があっていいと思った。聴くこともそうですが、編集するのも楽しいでしょう。自分の好きな楽曲を並べたオリジナルのテープを作るのは本当に夢みたいでした。だから、家庭用VTRが出てきた時にもすぐに飛び付きました。今でも、ミュージカルや音楽のプロモーション・ビデオには弱くて、片っ端から映像ソフトを買ってしまいます。見る暇はないのないのだけれど。

加藤 「秋葉原に行くな」と言われたのはなぜですか。