【対談】―― 村井純 × 加藤幹之
若者の成長を止めてはいけない
加藤 村井さんは、どんな少年時代を過ごしていたんですか。
村井 テレビのヒーローものに熱中する普通の子供でした。加藤さん、「少年ジェット」を覚えていますか。
加藤 もちろん。我々の世代のヒーローですから。
村井 実は、僕は当時、少年ジェットに会っているんですよ。
加藤 えっ?
村井 地元は東京の世田谷区成城で、東宝撮影所の町だったんです。だから、自宅の前でヒーローものの撮影がよくあった。みんなのヒーロー「少年ジェット」も撮影班の中では一番若い。だから、少年ジェット役の子役が「すみません。水をください」とヤカンを持って訪ねてきましてね。
「忍者部隊月光」もテレビで見ると強いのに、監督に叱られたりして実は意外と弱い(笑)。ヒーローが撮影監督のために鉛筆削りをしているとか、ウルトラ怪獣が道を歩いているとか。そういう撮影の裏側を見ていました。だから、ウルトラ怪獣は同郷です。
加藤 へぇー。今で言うところの「コンテンツ制作の現場」に少年時代から触れていたわけですね。
村井 音楽も好きでした。3歳くらいから洋楽を聴いていましたから。小学校の高学年にはビートルズの歌詞を全曲、タイプライターで打っていた。ブラインドタッチを習得したのはその時です。レコードがすり切れるほど聴いたので、ビートルズの歌詞は全部覚えていましたよ。だから、中学に入って英語を習い始めると、授業で「ああ、ビートルズのあの曲のフレーズだ」という場面に出くわすわけです。だから、楽しくて英語は苦労しませんでしたね。
加藤 もちろん、ビートルズの歌詞は英語のままタイプしたんですよね。