技術というより芸術系にも思える趣味を持ち続けた村井氏が、研究者になるキッカケは何だったのか。話を聞くほどに興味が湧いてきた。そこで、「技術には興味がなかったのですか」と問いを投げ掛けた。

 「少年時代には『子供の科学』が好きで。次は『初歩のラジオ』です。『ラジオの製作』も読んでいましたよ」と、素早い回答が返ってきた。

 これまた懐かしい雑誌名である。「初ラ」や「ラ製」と呼ばれていた電子工作系の雑誌は、子供の頃からラジオ少年だった私も毎月隅々まで読んだものだ。村井少年の部屋は、こうした雑誌が散乱し、20cmくらいの厚みの地層をなしていたらしい。その上で生活するほどに電子工作に熱中した。中学に入った頃からステレオ・アンプ作りに凝り始め、真空管式のアンプを作るために秋葉原通いを続けた一人だったようだ。安心した。普通の理科好きの少年だった。

 だが、村井氏が普通のラジオ少年と違っていたのは、これらの雑誌を読みながら、『スイングジャーナル』などの音楽雑誌も夢中になって読みふけっていたことだ。村井少年は、技術と芸術の両面で同時に新しい情報を追い求める「多元的熱中」の時代を過ごしたのである。

親に止められても熱中し続けた

 とにかく夢中になると何日もそれに集中して、他のことに手が付かなくなってしまう少年だった。アンプの製作を始めると、何日間もそれを続けて、食事の時間にも部屋から出てこなくなる。もちろん、部屋の掃除なんかしない。

村井氏は1988年にインターネットを研究する「WIDEプロジェクト」を立ち上げた。
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 子供が夢中になる姿を不安に思った親からは何度も禁止令が出たようだ。だが、それでもやってしまうことが重要であり、「自分は親の言うことを聞かないことが多い少年だった。それが良かった」と、村井氏は今でも思っている。

 親にしてみれば、あまりに子供が夢中になり、体を壊してしまうとか、肝心の勉強が疎かになるとか、心配は多かったに違いない。村井氏は「その干渉が、子供の成長の芽を摘み取ってしまうことも多い」と指摘する。

 村井氏の中で同居していた技術と芸術は、奇妙な現象をもたらす。真空管アンプのような繊細で微妙な音を求める一方で、当時に登場した音楽用のカセット・テープは許容するのである。カセット・テープが登場した当初、オーディオ・マニアの間では決して評判は高くなかった。レコードで聴く音楽よりも音質が落ちるからである。

 だが、村井氏にとって音楽を楽しめるならば、音質は犠牲にしてもよかった。それよりも、自分の好みの曲を並べたオリジナル・テープを作ることや、ラジオのエアチェックの方が魅力的だったからだ。今でこそ当たり前の自由な音楽の楽しみ方だが、当時は決してそうではなかっただろう。こうした思考は、いかにもインターネット的と言えるのではないだろうか。

 村井少年の行動は「芸術的な勘を働かせて、それまでに確立した技術を捨て、新たな可能性を求めて進む技術者の姿」のように見える。技術の専門家ではない私だから全くの想像ではあるが、技術者が大きな研究の壁にぶつかっている時、それを打ち破るのは芸術的というか、動物的な勘によるところが大きいのではないか。