村井 NTTの民営化後も、表立ってはJUNETの研究ができなかった。学会では、「村井くん、これは重要なテーマだから続けたまえ。でも、表立ってやるとまずい。論文の発表は控えなさい」と言われるんです。当時は東京大学も「電話回線にコンピュータをつないではいけない」という雰囲気で、他の大学は「東大がやっていないことはできない」というスタンスでした。だから、東大に移って1988年にインターネットを研究する「WIDEプロジェクト」を発足したんです。

加藤氏。
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加藤 本当に独立独歩の開発だったというわけですね。若いうちは、本当に好きなことに突き進んだ方がいい。

村井 好きなことは、自分で勝手に開発を進めた方が効率的です。一緒にやる人々が4人、5人と増えるに従って、できることの総量は減ります。だって、合意事項が必要になりますから。

 でも、一人ではできないこともあるから、もちろんコミュニケーション能力は必要ですよ。技術が面白いからと、追求していけばいくほど、周囲の人はついていけなくなる。「それでも、俺はやる」という気概が必要だと思います。例えば、「Android」を改造しようと考える技術者は、世の中に多いかもしれない。でも、それを「寝ないでやるぞ」という人がいてほしいと思います。

 若いうちに好きなことができないと、本当に不幸です。すごく好きなことを20歳代にやって、30歳代になると視野が広くなるから誰かと一緒にやろうという話になる。少しでも技術を持っていたら、10人に2人くらいは好きなことに突き進むでしょう。それが技術革新では大切なんです。

加藤 そういう村井さんは、どんな少年時代を過ごしていたんですか。そこまでの行動力が身に付いた理由は。

村井 通っていた小学校、中学校は地元にあった普通の公立学校です。ただ、公立でも有名な学校でした。住所を移して入学する子供がいるような。でも、テレビのヒーローものに熱中する普通の子供でした。加藤さん、「少年ジェット」を覚えていますか。

加藤 もちろん! 我々の世代のヒーローじゃないですか。

村井 実はね、僕は当時、少年ジェットに会っているんですよ。

(次回に続く)