村井 私は1955年生まれ。米Apple社のSteve Jobsさんや、BSDを開発したBill Joyさん、Javaを開発したJames Goslingさん、米Google社のEric Schmidtさん、米Microsoft社のBill Gatesさんらは、ほとんどが同年代です。シリコンバレーの人たちは、ある時期を境に次第に話す言葉が変わって、株式の話をすることが多くなりましたね。彼らに会うといつも「ジュンだけが、大学に残っている」と言われます。

加藤 そういう人々と若い頃から切磋琢磨して、コンピュータやインターネット系の技術開発を進めたわけですね。

村井 日本では、アスキーを創業した西和彦さんや、マイクロソフトの会長を務めた古川亨さん、ソフトバンクの社長である孫正義さんなどが同年代。同じように1970年代にコンピュータに接した世代です。当時は、まだインターネットは見えていなかったけれども、コンピュータが人間の側に近付いてきた時代で、すごく面白かった。

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 日本でも米国でも、コンピュータの開発に携わった同じ世代の人間に共通している点があります。それは、若い頃から一人で行動していたということ。何かの枠組みがあって、それで動いていたわけではありません。

 僕自身、米国には何度も足を運んで、「TCP/IP」や「DNS」などインターネット関連技術の開発を手掛けたJohn Postel氏ら、いろいろな人と議論をした。ハワイ大学が開発した先駆的なコンピュータ・ネットワーク「ALOHAnet」の開発者には、「いつの日か中国でインターネットが普及するから、その時はジュン、お前頼むぞ」と言われました。今思えば、本当にそういう時代がやって来た。

 そういうさまざまな議論をした時代に、僕は彼らのところに一人で訪れていました。これは西さんも古川さんも孫さんも同じですよね。集団の中にいることを、あまり好まなかった。「群れない」のです。今でこそ、自分の研究チームを率いていますが、20~30歳代にはそんなことを考えている余裕もありませんでしたね。でも、独立独歩で行動していた人間が、今一緒になって何かをすると大きなパワーになる。それが、本当の自律分散性だと思います。

加藤 なるほど。その行動力がインターネットの開花につながったわけですね。

村井 1984年に東京工業大学で、日本の大学などの研究機関のコンピュータをつなぐネットワーク「JUNET」を立ち上げました。当時、NTTは電電公社で、まだ民営化されていません。コンピュータ・ネットワークの構築には、ものすごく抵抗感が強かった。電話につなぐモデムが手に入っても、勝手につなぐと犯罪ですからね。モデムを使ってデータを流すような実験の際には、学生を配置して「見張っていろ」みたいな。