「インターネットがなかった時代って、どんなものだったのだろうか」と、ときどき思い返してみることがある。勉強も仕事も分厚い辞書を傍らにということが多かったが、何冊もあった辞書は、どこに消えてしまったのか。きれいな記念切手が張り付けられた外国からの手紙はいつの間にか見なくなってしまった。当時は、クリスマスの頃になると異国から届く直筆のカードを見ては、古い友人を思い出していたものだ。

村井純氏。慶応義塾大学 環境情報学部長兼教授。
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 かつて辞書が堂々と鎮座していた本棚の正面には、DVDソフトやパソコン、周辺機器と一緒に小型カメラが設置され、テレビ会議で活躍する場所となっている。パソコン・モニターに映し出される会議の相手は、海を越えた別の国の人々である。

 この数年、紙で届くリアルなクリスマス・カードはぐっと少なくなった。いくら音楽やびっくりするような画像が飛び出しても、「インターネット以前」を知る人間としてはメールで送られて来るクリスマス・カードはどこか味気ない。だが、こうしたちょっとした感傷の中で思い出す「昔」は、ほんの10数年前のことに過ぎない。それだけの変革をインターネットはもたらしたのだ。

インターネットを通じた出会い

 こうして考えると、インターネットは我々の仕事や生活を徹底的に変えてしまったことがよく分かる。それを実現した張本人の一人が、今回登場する慶応義塾大学 環境情報学部長兼教授の村井純氏である。村井氏は日本の「インターネットの父」と呼ばれる人物だ。当然のことながら、私と同氏との出会いも、やはりインターネットに関連していた。

 インターネットはご存じの通り、もともと米国の国防総省で研究が始まり、大学間でコンピュータを接続することで利用が開始された。1969年のことだ。その後、1970年代、1980年代を通じて、一部の研究者の間だけで利用されていたが、1990年代になってWeb技術が生まれ、インターネットの商業化が始まると爆発的に普及した。

 1993年に船出した米国のクリントン政権は市場原理を重視した。インターネットも例に漏れず、民間の手でインターネットの活用を促進することを目指した。それまで米国政府や大学などの研究者が手掛けていた、Webサーバーのドメイン名や、IPアドレスの技術的な管理を行う国際機関として「 Internet Corporation for Assigned Names and Numbers(ICANN)」が設立された。

 村井氏は1998年のICANN創立時から同団体の理事を務めていた。当時、富士通に所属していた私も民間企業を代表して活動に参加していたので、さまざまな場所でお目にかかる機会があった。2000年に私がアジア太平洋地区代表の理事に選ばれてからは、理事会で定期的にお会いした。