研究開発のミッションの明確化

 前回は、「自社の技術‐市場マップを用いて市場の目で見た技術資産の棚卸しをすることで自社技術の資産価値を正しく理解しましょう」と言いました。今回は、その正しい理解の下に、2つめのテーマである「新しい技術の獲得を戦略的に企画する方法」について説明します。

 新しい技術を獲得する前に、確認しておくことが1つあります。それは、「研究開発に期待されているミッションは何か」ということです。つまり、何のために新しい技術を獲得するのか、ということです。往々にして、このミッションが明確に設定されていないことがあります。設定されてはいるが経営陣の中で共通認識とされていない、あるいは経営陣は共通認識を持っているが、研究開発所員の腹には落ちていない、ということもあります。

 このミッションが組織に浸透していないと、どういうことが起きるのでしょうか。皆が、バラバラの方向に向かっていくことになります。「もしドラ」*の最初にでてくるのも、組織のミッション定義です。

* 小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(ダイヤモンド社)の略。高校野球の女性マネージャーが、経営学者ドラッカーの著書を読んで甲子園出場を目指す物語。

 では、ミッションが明確に定義され、組織に浸透したとしましょう。次に問題になるのは、KPI(Key Performance Indicator:主要業績管理指標)です。KPIとは、定量的に測れる尺度です。経営学では、よく次のようなことが言われます。「測定できないものは、マネジメントできない」。逆に、測定しさえすれば、改善傾向になる事象もよく見かけます。人間の心理をよくついていると思います。しかし、このKPIを正しく設定することは、実は「言うは易し、行うは難し」なのです。そこでKPIを正しく設定する考え方を図2-1に示します。

図2-1 事業環境から来る研究開発の要件を踏まえたKPI選別の具体例
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 まず、自社の事業環境という視点で、自社の研究開発の課題は何かを考えます。例えば、基礎研究が不足しているという課題があったとしましょう。そこで、「基礎研究が不足しているとはどういうことか」「何が変われば、基礎研究が十分だと言えるのか」を社内で議論します。例えば、「特許登録件数」が増えれば、基礎研究の効果が出始めたと言えると、経営陣が合意したとしましょう。では、特許登録件数を増やすには、プロセスKPIとして何に注目すればよいのでしょうか。いろいろ分析をしてみると、研究者の本来業務である基礎研究にあまり時間が割かれておらず、事務作業に追われていたり、会議に時間を使っていたりしていることが課題だと分かってきました。そこで、研究者の「研究業務に費やす労働時間構成比率」をプロセスKPIに設定します。最後に、インプット(入力)KPIとして何を設定するかを考えます。プロセスKPIを研究業務に費やす労働時間構成比率にしましたので、その前提となる「研究者人員数」をインプットKPIに設定します。プロセスKPIである労働時間構成比率を最大化しても、アウトプット(結果)KPIである特許登録件数を達成できないときは、このインプットKPIである研究者人員数を増加させる必要が出てきます。このように、基礎研究が不足しているという課題を出発点として、プロセスKPI、インプットKPI、アウトプットKPI、を自社の状況に応じて設定していきます。もし、この課題が「上市期間が長い」とか「新製品数が少ない」とか別のものである場合には、図2-1にあるように、別のKPIを設定することになります。

 それでは、複数のミッションを持っている場合はどうなるでしょうか。もちろん、研究開発のミッションが1つでなければならないという理屈はありません。組織ですから、複数のミッションを同時に求められることはよくあります。それぞれのミッションに応じて、図2-1にあるように、別々のKPIを設定していけばいいのです。ただし、ここで1つだけ注意を喚起しておきたいことがあります。それは、KPIが多ければ多いほど、トレードオフが発生する確率が高まるということです。どのような資源も有限ですし、人は通常、同時に10の重要項目を管理することはできません。また、KPI同士が矛盾することもあります。例えば、短期的に研究開発のROI(Return On Investment、投下資本利益率)を上げようとすれば、中長期的な研究開発テーマに投入すべき資源を削減することになります。それでも、短期的なROIの向上と基礎研究力の向上の両方を同時にミッションとし、KPIを設定するならば、これらのKPIは互いに相反するKPIとなるため、同時に達成することはほぼ困難になります。その場合は、どちらのKPIをより重要と考えるか、といったKPIの優先順位付けが必要になります。