今回紹介する書籍
題名:鹰的重生 TCL追梦三十年 1981-2011
作者:藍獅子
出版社:中信出版社
発行日:2012年1月

 今回はテレビ、携帯電話の生産で有名な中国の家電メーカーTCLの30年の軌跡を描いた『鹰的重生TCL追梦三十年1981-2011(甦る鷹 TCLの夢を追った30年 1981年~2011年)』の紹介の最終回。

 1回目はアメリカ『タイム』誌の表紙も飾ったTCLの李東生CEOの紹介と入社のいきさつ、前回はTCLの海外進出とそれによる経営の挫折をご紹介した。では、今回はTCL快進撃の時代をご紹介しておこう。第1回に書いたように1982年には43人しか社員がいなかった地方の電器メーカーがなぜたった十数年でフランスのメーカーを立てつづけに買収できるまでに成長できたのか、その軌跡を追ってみたい。

 本書の巻末に挙げられているTCL30年の歩みから海外進出するまでの出来事を見てみよう。

 1981年、5000元の融資を受け恵陽地区電子工業公司と香港企業の合弁でTKK家庭電器有限公司が成立。中国最初の合弁企業12社のうちの一社、現在のTCLの前身。1982年、李東生入社。1985年、TCL通訊設備有限公司設立。初めてのTCLブランド製品は電話機。1986年、TCLという商標が国家工商行政管理局に登録される。当時英字によるブランド名は中国で初めてかつ唯一であった。1989年、電話機の生産販売量が全国一位になる。1992年、「王牌」ブランドの大型カラーテレビを開発、市場から広く認められる。1993年、TCL通訊設備股份有限公司が深圳証券取引所に上場。1996年、香港の陸氏公司のカラーテレビ事業を買収し、国有企業が香港企業を買収し、国有企業のブランドを継続する例の第一号になる。「王牌」テレビが国内3強に名を連ねる。1997年、国有企業が政府から権利を授けられ経営をするというケースの先駆けとなりTCL集団公司を設立する。1999年、携帯電話事業に進出。TCL国際控股有限公司(2005年にTCL多媒体科技控股有限公司に改称)が香港で上場。ベトナムへ進出。2002年TCL集団股份有限公司、登録。携帯電話事業が大成功をおさめ、販売量600万台を突破。

 この後は前回にご紹介したように苦境が続く。苦境の原因はフランスのメーカーの買収後のコスト高に堪えられなかったことだが、ここではそれまでの快進撃の理由を本書から紹介する。もちろん、全体としては中国の経済発展に支えられ、消費者の購買力が上がったことによるものだが、本書から読み取れる、初期のTCLの急速な発展の大きなポイントは2点。

 一つは「政府の後ろ盾を上手に使うこと」である。TCLはもとは恵陽地区政府と香港資本の合弁事業なのであるから、1997年に授権経営を行うまでは経営の主権は政府側にあったと言ってもいいだろう。当時の恵陽地区、後の恵州市の政府は実に理想的な形でTCLをサポートしている。そして、その政府のサポートのもと、李東生という大変発想の斬新な社長が、先達の意見を上手く受け入れつつ柔軟に経営したことがTCLの成功の秘密であると思われる。李東生は市政府の人間はもちろんのこと、香港の出資者とも一時的に関係があった時期はあるものの、良好な関係を結んでいる。

 本書を読む限り、李東生はその一世代下の馬雲(アリババCEO)等とは違い、強烈な個性を感じさせる経営者ではない。これは中国の社会体制と大きな関係がある。李が社会に出た当時はまだ企業は基本的には国有であり、そこで一から出世していく以外に経営者になることはできなかった。その中では馬雲のような強烈な個性よりも調整型の李東生の方が受け入れられやすかったのであろう。30年前に李東生が出てきて、10数年前に馬雲が社会の表舞台に出てきたことは、象徴的である。

 と言って李東生が凡庸な人間である、ということはなく、例えばTCLは早い時期から経営のシステム化を図っている。また、本書内には奇想天外な方法で会社が危機を脱したり、飛躍のきっかけをつかんだりした事例がいくつも挙げられている。

 以上のようにTCLという、携帯電話やカラーテレビで有名な電器メーカーの歴史を紐解いて来たが、この30年間の中国の経済政策の変化が一つの会社の成長に大きく関わっており、改めて中国とは国家体制が違うのだということを感じさせてくれる興味深い一冊であった。