上海市と海南省からの「全面突破」

 1984年には、深圳を代表とする四つ経済特区に続き、対外開放政策の拡大として、中国最大の工業都市である上海に代表される14の沿海都市が「経済技術開発区」に指定された。さらに1988年 広東省(省は日本の県を意味する)の一行政区から省へ昇格されていた海南省は、全域が経済特区に指定された。

 開発区と特区では、少し意味が異なる。特区は新たな政策を試みることが多い地域。一方で開発区は、特区で検証された政策を実施することがメインとされる地域である。

 80年代後半から、内陸部にも改革開放政策が広まった。あちこちで経済開発区が誕生していった。国家認定、省認定、市認定に分ける程度まで経済開発区の数は多くなった。さらに、経済開発区だけではなく、技術開発区、工業開発区、ハイテク開発区、工業園区などさまざまな呼び方がされるようになった。国家が認定した国家級の開発区だけで200を超えるという。中国の改革開放政策がついに全国規模で広まった。経済特区や地域経済間の競争が繰り広げられる中で、中国経済は大きく発展してきた。

 21世紀に入ると、開発区が多すぎるため、審査基準が設けられ、不合格の開発区は取り下げられるケースも出てきた。

 開発区が全国にあるので、“全国開発区”(全国が開発区になった)という言い方もあった。また、“特区不特”(特区には特別なところがない)というように、特区は特別な存在ではなくなったと認識する人も多い。先駆である経済特区の存在意義が薄くなったため、経済特区そのものを廃止すべきだとの意見も出てきた。