日経エレクトロニクス2012年2月6日号の特集「がんと闘う ~超早期発見へ、テクノロジーで導く~」を小谷記者とともに執筆しました。本誌ではここ数年、次の成長市場と期待される健康管理・ヘルスケア分野の情報提供に力を入れています。今回は、医療分野の“最深部”ともいえる「がん医療」に踏み込みました。エレクトロニクスなどの最先端技術は、がん医療にどのようなパラダイム・シフトをもたらすのか。本特集ではその可能性を、最新の研究事例をベースに示しました。

 今回の記事には、ノーベル化学賞受賞者で島津製作所 フェローの田中耕一氏へのインタビューを掲載しています。同氏らのグループが2011年11月に「1滴の血液から、がんなどの病気を発見する」ための基礎技術を開発したことを受けて、インタビューを依頼しました。田中氏はこの技術についてはもちろん、がん医療にエレクトロニクスがどのように貢献し得るかについて、熱く語ってくださいました。

 民間企業の“サラリーマン”である田中氏がノーベル賞を受賞し、その飾らない人柄もあって一世を風靡(ふうび)したのは、2002年。ちょうど10年前です。この年、田中氏とともにノーベル賞を受賞した日本人科学者の名前を皆さまはご記憶でしょうか。ノーベル物理学賞を受賞した、小柴昌俊氏です。同氏が設計を指揮した「カミオカンデ」において、ニュートリノの観測に成功した成果を受けたものでした。

 小柴氏の“弟子”に当たる物理学者で、同氏に続いてのノーベル賞受賞を有望視されていたのが、故・戸塚洋二氏です。カミオカンデの改良版である「スーパーカミオカンデ」を用いて、ニュートリノに質量があることを実証した研究の主導者でした。しかし残念なことに、2008年に66歳という若さで、がんで逝去されました。

 戸塚氏の名前を挙げたのは、同氏が田中氏と同じく「がんと闘う」科学者だったからに他なりません。ただし、がんを研究対象にしたわけではなく、自らのがんと闘ったという意味においてです。その闘いの記録は、戸塚氏と親交のあったジャーナリストの立花隆氏の手で『がんと闘った科学者の記録』(文藝春秋社、2009年刊)という書籍にまとめられています。戸塚氏が大腸がんの全身への転移によって亡くなるまでの最期の11カ月間に、ウェブ上に匿名で執筆した膨大なブログの一部をまとめたものです。その内容は、実に目を見張ります。

 とりわけ印象的なのは、自らの病状の進行をあくまでも冷静に観察する“科学者の目”です。肺に転移した自分のがんのX線CT画像をデジタル化して腫瘍の大きさを測り、がんの成長曲線を描いて余命を予測する。腫瘍マーカーの時間的経過をグラフ化し、それを抗がん剤治療の過程に重ねて治療効果を検証する。そうした作業が、まるで自らの趣味についてでも語るかのように、クールに綴られています。戸塚氏がブログに自ら記したように、「研究者として一生を送ってきたものの悲しい性(さが)」なのかもしれません。しかし、それが決して悲嘆にくれたトーンではなく、他の箇所で草花の美しさを讃えているのと変わらない穏やかなトーンで書かれていることに、深い感銘を覚えます。

 今回の特集に向けた取材を終えたころ、過去に2度読んでいた同書を改めて拾い読みしていました。その折、ハッとする箇所があったのです。がんの転移が進み、抗がん剤治療も芳しい成果があがらなくなった、死の四カ月前のブログの一節でした。今回の特集記事で多くの誌面を割いた、粒子線治療に触れた箇所です。粒子線治療は、放射線治療の一種。X線に代えて陽子線や重粒子(炭素イオン)線を用いることによって、がん病巣へ放射線を照射する際の、体表からの深さ方向のピンポイント性を高める治療技術です。

 戸塚氏は、粒子線治療が自らのがん治療の選択肢になるかどうかに思いをめぐらせ、かつて「つくばの加速器研究機構」(茨城県つくば市の「高エネルギー加速器研究機構」を指すと思われます)に在籍していた際に、医療用加速器を手掛ける研究者を支援していたことに言及します。その研究では、陽子と重粒子の両方を加速できる新しい技術の開発に取り掛かっていた。その重要な開発項目を同氏が記しているのが、次の一節です。

 「ビームをCW(正しくはCB)的に出すこと。これによって、レーザーメスのように、ビームを精密に動かして腫瘍を焼いていくことができる(スポットスキャン)。面倒臭いシールド窓を省くことができる」

 こうした機能を持つ加速器について、戸塚氏は「プロトタイプを作って運転までこぎつけましたが、残念ながら開発を終了させることができませんでした」と記しています。なんと同氏自身が、過去にがん治療の最先端技術の開発に深く関わっていたのです。そして、私の目に留まったのは、「スポットスキャン」という文言でした。

 スポットスキャンとは、戸塚氏が触れている通り、がんの3次元的な形状に合わせて、病巣を塗りつぶすように粒子線を照射する技術です。これにより、周辺組織への余分な照射を防ぎ、治療に伴う副作用を抑えられます。体表からの奥行き方向のピンポイント性に優れる粒子線治療を、もう一歩進化させる技術です。スポットスキャンは粒子線治療の現場に今まさに本格的に導入されようとしており、そのことを私は今回の特集に向けた取材を通じて知ったばかりでした。

 スポットスキャン技術を採用した粒子線治療装置を稼働しているのは、現時点では、世界最大級のがん専門病院である米MD Anderson Cancer Centerなどの限られた施設です。しかし、稼働に向けて導入を進めている事例が幾つか出始めています。例えば、日立製作所は2011年5月に、同技術を採用した陽子線治療装置を、米Mayo Clinicから2式分受注しました。同装置を導入する施設はそれぞれ2015年夏と2016年春に完成した後、治療を開始する予定です。国内でも、スポットスキャン技術を採用した陽子線治療装置が2011年1月に薬事承認を取得し、名古屋市で同技術を採用した治療施設の建設が進められています。

 もし戸塚氏が今もご健在であれば、こうした粒子線治療技術の進化に感慨を深くされていたのではないかと想像します。そして今、さまざまな実験施設で得られたデータをめぐって世界中で熱い議論が交わされている素粒子物理学において、同氏が引き続き主導的な立場を担っていたことは確実です。

 ノーベル賞とのかかわりが深い、二人の科学者の「がんとの闘い」について紹介してきました。最後に、今回の特集を通じて知った、もう一人のノーベル賞科学者と「がんとの闘い」の関係に触れたいと思います。2002年のノーベル賞を受賞した小柴氏の“師匠”に当たる、故・朝永振一郎氏にかかわる話です。同氏と「がんとの闘い」の関係について知ったのは、今回の特集に向けて富士通を取材した際でした。

 同社は2011年6月、スーパーコンピュータを用いたIT創薬の研究を東京大学と共同で始めました(Tech-On!関連記事)。抗がん剤などの候補になる低分子化合物を、スパコンの能力を駆使して短期間かつ低コストで開発するという試みです。そして、この創薬技術のベースとなるソフトウエアの開発に携わったのが朝永氏のご子息だと、取材の際に聞き及んだのです。朝永氏のちょっとしたファンで、ドイツ留学時代の日記などを含む著作を過去に数冊読んでいた私は、ここでもささやかな感銘を受けました。

 以上でご紹介した、田中耕一氏の「1滴の血液からのがんの発見」、戸塚洋二氏のブログにあった「粒子線のスポットスキャン技術」、そして朝永振一郎氏のご子息の「スパコンによるIT創薬」。がんと闘う科学者の系譜につらなるこれらの技術について、今回の特集記事では詳細を掲載しています。ぜひ、ご一読いただけましたら幸いです。

■変更履歴
記事掲載当初、スポットスキャン技術を採用した粒子線治療装置を稼働しているのは「米MD Anderson Cancer Centerのみ」としていましたが、正しくは「米MD Anderson Cancer Centerなどの限られた施設」です。お詫びして訂正します。本文は修正済みです。