丘氏はさらに、中国の大学の先生及び学生との懇談で次のような意見も語った。アメリカの大学では、精鋭とも言える中国の留学生の成績が、必ずしもトップクラスではなく、またその数学の成績が他と比較して良いとも言えない。さらに大学だけではなく、社会人となっても、創造性ある研究力においては、米国と比較してさらに後退していると厳しく指摘した。その大きな原因は、小学校、中学校、そして高校教育において、受験や名利のために知識を詰め込み、学生の天性や個性が無くされたからで、さらには人間性も欠如したとも指摘した。

 中国の国内には、教育を危惧する有識者は少なくない。中国の経済は規模として大きいが、中身はまだ弱い。経済の強さは創造性から作られる。学校教育が学生の創造性を阻害しないように、教育の改革を呼びかけている。

「詰め込み」か、「ゆとり」か

 創造性については、さまざま見解があるかと思われるが、創造性には、好奇心、想像力、そして批判的な思考力が欠かせないとの見方が多い。それらは「知識」ではなく、知識を越える能力であるということだ。

 創造性は、教えることが可能である知識と違い、教えることができない。それだけではなく、間違った教育理念と教育方法は、逆に創造性を抑えるばかりか失うことにもなってしまう。では、学校教育では、知識を教えることと創造性の育成をどう両立すれば良いのか。

 教育理念や方法としては、大きく「詰め込み」と「ゆとり」で分けられている。日本では近年、「ゆとり教育」が批判され、「脱ゆとり」が宣言された。一方、中国では正反対で、ゆとりのある教育が多くの人に望まれている。毎年、大学受験の期間になると、詰め込み教育がマスコミやネットでは厳しく批判され、ゆとり教育が呼びかけられるが、全く変わっていないような状況だ。大きな原因は、学校が有名中学校、有名高校、有名大学への進学率という指標に左右されることだ。受験の成績が、学校の名声、先生の能力、親の希望、子供の前途を決めることになるので、成績を上げるための一番簡単の方法である詰め込み教育が、当たり前の選択となっているのだ。

 その状況を改善するのに参考になるのが、日本の教育システムだと個人的には思っている。日本には、学校教育と塾という、二つの独立したシステムが存在するからだ。義務教育である学校では教育の基礎を確立し、そこでは子供に自由に成長できる空間と時間を与えている。個人で選択できる塾では、子供のレベルに応じて個別教育をサービスとして提供する。このような棲み分けがあるので、塾同士では進学率や合格数の競争があるものの、学校は進学率の競争から抜けることができる。好奇心と想像力の育成に役立つ図工や音楽などの授業を充実させられ、そして文化祭や社会見学なども実施できる。もとろん、ゆとりが行き過ぎると、学力が弱くなる恐れもあり、そのバランスを取ることは課題である。

 創造性は、イノベーションの基本条件となる。詰め込み教育が中心となる中国教育の体質は、大きくは学生の創造性を阻害している原因のように見られる。中国発のイノベーションを持続できるかどうかは、学校教育の改革に大きく依存しているのではないだろうか。

(答え:(1)1/(1/6-1/10)=15個 (2)211-1=2047)