竹内 健の「エンジニアが知っておきたいMOT(技術経営)」

Kodak破綻、フラッシュ・メモリが日本発だから富士フイルムは生き残れた

異分野が集積した日本のエコシステムでイノベーションを生み出そう

  • 竹内 健=東京大学 准教授
  • 2012/01/30 09:00

 アメリカの名門企業Eastman Kodak社が経営破綻に追い込まれました。一方、コダックと同様に銀塩フィルム・メーカーとして一世を風靡した富士フイルムはデジタル化への波にいち早く乗り、生き残ることができました。

 カメラのデジタル化は避けられないですし、デジタル化により銀塩フィルム事業が無くなることは、Kodakも富士フイルムも理解していたはず。両社の運命を分けたのは、経営者の判断、と富士フイルムの経営者を礼賛する声が聞かれます。

 ただ、Kodakを破綻に追い込んだ当事者の一人として、私は少し違和感を感じます。1990年代の半ば、カメラがデジタル化することで、フラッシュ・メモリが銀塩フイルムを置き換えました。私は東芝でフラッシュ・メモリを開発していたのですが、カメラのデジタル化を推し進めたのは日本の様々な企業たち。

 富士フイルムは確かにデジタルカメラに積極的な企業の一つでしたが、当時の日本のエレクトロニクス業界の、デジタル化に突き進む大きなうねりが富士フイルムをデジタル化にかき立てた、と私は考えています。

 経営学で日本を代表する一橋大学の野中郁次郎名誉教授は『日経ビジネス』で

「コダックは日本軍と同様に、過去の成功体験への過剰適応があったのではないか。結果として知識破壊企業になった。一方の富士フイルムは、まさに知識創造企業だ。モノづくりを捨てずに、銀塩フィルムで培った技術をベースに新しい事業ドメインを生み出すことができた」

と語っています。マクロな経営の視点からするとその通りなのですが、ではなぜ、デジタル化への決断を富士フイルムはできて、Kodakはできなかったのか。

 将来のデジタル化は仕方ないとしても、今すぐにデジタル化を進めると、既存市場の銀塩フィルム市場を失って、打撃を受ける。Kodakにとっても富士フイルムにとっても、できるだけデジタル化を先延ばしにしたい、というのが、合理的な判断にみえます。

 デジタル・カメラが誕生した15年ほど前を振り返ると、世界のエレクトロニクス業界で、デジタル化の中心は日本でした。フロッピーディスクや銀塩フィルムを置き換えることを目的として、東芝がフラッシュ・メモリを世界に先駆けて開発。

 フラッシュ・メモリの他にも、カメラのデジタル化を推し進める電子部品として、液晶ディスプレイやCCDなども日本企業が開発していました。

 電子部品だけでなく、カメラ業界にも大きな動きがありました。当時のカメラ業界はニコンやキヤノンといった企業がほぼ寡占の状態でした。デジタル化は、技術の大きな転換点。他の企業にとってはカメラ市場に新規に参入する大きなチャンスでした。

 カメラのデジタル化を推進したのは、オリンパスのようなカメラ・メーカーもありましたが、むしろカシオ計算機、ソニー、富士フイルムといった、それまではカメラ事業を手掛けていない企業が積極的でした。

 そして、1994年にカシオが世界で初めて民生用のデジタル・カメラQV-10を発表しました。それまでもテレビの放送用など、プロ向けのデジタル・カメラはありましたが、大変高価なため一般には普及しませんでした。

 ところが、フラッシュ・メモリ、液晶ディスプレイ、CCDといった電子部品の高性能化、低価格化により、一般の消費者でも買える安価なデジタル・カメラが誕生したのです。

 このように、カメラ業界では、ニコン、キヤノンといった既存勢力は日本企業、デジタル化でカメラ市場に新規参入を狙うのも日本企業、デジタル化のカギとなる電子部品を開発するのも日本企業と、新旧勢力の攻防が日本を舞台に繰り広げられたのです。

 フラッシュ・メモリを使ったデジタル・カメラの記憶媒体であるスマートメディアの企画や開発、標準化には、フラッシュ・メモリの開発企業である東芝に加えて、富士フイルムも積極的に参加し、大きな役割を果たしました。

 富士フイルムのデジタル化の経営判断はもちろん尊敬に値しますが、当時のカシオやソニーなどのデジタル化の攻勢を思い出すと、富士フイルムもこれらの会社に突き上げられ、尻に火がついていたのではないか。

 一方のKodakはアメリカが本拠地。しかも、ニューヨーク州北西部でカナダにも近いロチェスターが本拠地です。きっと、デジタル化の中心である日本とは遠く、デジタル化を推し進める企業の攻勢を肌で感じることは難しかったのではないでしょうか。

 もちろん、Kodakも市場調査をしたでしょうから、既存のカメラ・メーカーであるニコンやキヤノンとは頻繁に交流していたでしょう。しかし、既存のカメラ・メーカーの多くは、自分の市場を守るため、できるだけデジタル化を押しとどめたいと考えていたはずです。

 残念ながら、既存市場のプレーヤーと会話していても、新しい市場はわからないのです。デジタル技術を武器にカメラ市場への新規参入を狙うカシオやソニーといった企業と、Kodakがどれだけ交流できていたのか。Kodakがせめてシリコンバレーなどアメリカの西海岸にあれば、Kodakの歴史は変わったのかもしれません。

 デジタル化のようなイノベーションといえば、Steve Jobs氏のようにインドに行って放浪して、禅をやって・・・というやり方もあるでしょう。でも、多くのイノベーションは、ちょっと異なる分野の人との交流や、技術の将来動向のヒントを貰うことなどから始まるのではないでしょうか。

 顧客や取引先といった正式な関係だけでなく、知り合いや友人からの情報も貴重です。1990年代に日本でデジタル・カメラが誕生した背景には、デジタル化に向けた、電子部品や機器など様々な分野の人の交流があったのではないかと考えています。

 翻って現在の日本を考えますと、円高や高い法人税、電力の制約などにより、製造業の海外移転が進んでいます。工場の海外移転は仕方ないですが、製品開発やマーケティングの拠点は日本に残って欲しいと考えています。

 現在の日本には素材、製造装置、半導体からセットやコンテンツまで、エレクトロニクス業界の様々な企業が集積しています。このような多様な業界が狭い地域に集積し、異なる分野の間で頻繁に人の交流がある。この日本の強みを生かして、ぜひ次のイノベーションの波を作り出していきましょう。

 最後に、私が東芝でのフラッシュ・メモリ開発やMBA留学、東大での研究を通じてつちかった、技術経営やキャリア論をまとめた本、「世界で勝負する仕事術 最先端ITに挑むエンジニアの激走記」が出版されました。興味がある方は読んで頂ければ幸いです。