アメリカの名門企業Eastman Kodak社が経営破綻に追い込まれました。一方、コダックと同様に銀塩フィルム・メーカーとして一世を風靡した富士フイルムはデジタル化への波にいち早く乗り、生き残ることができました。

 カメラのデジタル化は避けられないですし、デジタル化により銀塩フィルム事業が無くなることは、Kodakも富士フイルムも理解していたはず。両社の運命を分けたのは、経営者の判断、と富士フイルムの経営者を礼賛する声が聞かれます。

 ただ、Kodakを破綻に追い込んだ当事者の一人として、私は少し違和感を感じます。1990年代の半ば、カメラがデジタル化することで、フラッシュ・メモリが銀塩フイルムを置き換えました。私は東芝でフラッシュ・メモリを開発していたのですが、カメラのデジタル化を推し進めたのは日本の様々な企業たち。

 富士フイルムは確かにデジタルカメラに積極的な企業の一つでしたが、当時の日本のエレクトロニクス業界の、デジタル化に突き進む大きなうねりが富士フイルムをデジタル化にかき立てた、と私は考えています。

 経営学で日本を代表する一橋大学の野中郁次郎名誉教授は『日経ビジネス』で

「コダックは日本軍と同様に、過去の成功体験への過剰適応があったのではないか。結果として知識破壊企業になった。一方の富士フイルムは、まさに知識創造企業だ。モノづくりを捨てずに、銀塩フィルムで培った技術をベースに新しい事業ドメインを生み出すことができた」

と語っています。マクロな経営の視点からするとその通りなのですが、ではなぜ、デジタル化への決断を富士フイルムはできて、Kodakはできなかったのか。

 将来のデジタル化は仕方ないとしても、今すぐにデジタル化を進めると、既存市場の銀塩フィルム市場を失って、打撃を受ける。Kodakにとっても富士フイルムにとっても、できるだけデジタル化を先延ばしにしたい、というのが、合理的な判断にみえます。