欧州債務問題は連日深刻さを増すばかりで、頼みの新興国の経済成長にも影を落としている。日本はというと、いわゆる“6重苦”を背負い、その中でも超円高、しかも独歩高傾向が回復する見込みは極めて薄い。

 このような状況で日本が目指すべき方向は何か。本連載の本題である“もの・ことづくり”の視点で提言したい。

 筆者がものづくり企業に入社した1975年ごろの日本は、第1次オイルショックなどによって日本の高度成長期のピークが過ぎ去ろうとしていた時期だった。しかし、次の10余年にわたって、自動車、家電などの製造業を中心に、技術/品質/価格(生産の効率化)において、さらなる圧倒的な輸出競争力を付け、米国製造業の空洞化を引き起こした。それが、プラザ合意による強制的な円高を招き、そのさらに次の10年間(1980年代後半~1990年代前半)の日本では、余剰マネーの行き場が実体経済からそれてバブル経済が発生した。 

 その頃までの日本は、世界でもっとも模範的なシステムによって技術立国に成功したとまでいわれたが、バブル崩壊後は、自らのビジネス領域を拡大する余裕もなく、むしろ「選択と集中」という言葉どおり、多くの企業は戦う場を得意分野だけに狭め、効率や生産性の追求+労働コストの低い海外への生産現場移管により乗り切ってきたと言える。しかし、失われた15年といわれるように、日本は構造的なパラダイムシフトまで起こす余裕もなく、生き残り競争による疲弊の時代を迎える。

 21世紀に入ってからの世界の変化(ITバブル崩壊、9.11テロ、リーマンショック、世界同時経済不安、欧州危機、東日本大震災、あるいはタイの大洪水など)は矢継ぎ早に、巨大なインパクトをもって、日本に構造的かつ迅速な方向転換を余儀なくさせている。日本のものづくりが長期にわたり誇ってきた、高い技術・高い品質・効率生産による低価格をベースとした優位性は、新興国の追い上げによって失われつつある。

 では、構造的な方向転換とは、具体的にはどのようなものであろうか? それが、前回述べた、「“物づくり”から“ものづくり”へ、さらに“もの・ことづくり”へ」である。

◇“物づくり”とは

 製品の開発・生産を見込みに基づいて先行させ、市場に出すこと(プロダクトアウト的に)。ここで、“物”は、際立った特徴のない一般的な製品・部品を指す。これは、決して悪い意味でいっているわけではない。そこそこの機能・品質の製品が安ければ売れるはず、という市場は確かに存在してきたし、これからも存在するだろう。

 しかし、この「そこそこの機能・品質を安く」というやりかたでは、これからの日本の製造業としては成功は得られにくい。“物”自体の価値はすぐに低下して価格競争にさらされ、競合も出現しやすく、効率化にも限界があるからである。

◇“ものづくり”とは