「ったく、何であいつは一から十まで後ろ向きなのか、本当にイヤになっちまう! なあ、次郎さんよォ」。

 朝から部長が吠えていますヨ。

 「おいおい、どうしたい。また例の役員がお前さんになにか言ったのかい?」。

 どうやら図星、あの役員さんが部長の足を引っ張っているようですヨ。

 「冗談じゃあねェ、今度の開発、出だしっからケチを付けやがる。『いつものように期待はしているよ、期待を。だがね、上手く行かない時のことも、考えておかなければいけないと思うが、どうだろう』って、ハナからダメを想定しているなんて、一体、何が嬉しくて生きているのか分からねえよ、あの野郎は。開発なんざァ、皆、上手く行くように頑張っているんじゃねェか、それを、ダメが先なんて、どういう料簡だァ?」。

 ははは、部長の言葉使い、段々悪くなりますが、気持ちは分かりますワナ。良かれと思って進める開発。それを最初からケチを付けて、後ろ向きなことを言われてはやってられませんヤネ。

 そもそも、仕事てェものは、実に多くの人と関わり、その方々に教えられたり、助けられて成り立っているものじゃありませんか。特に、開発なんざァ、皆の協力体制が一枚岩になっていないと、上手くは行きません。何より、開発した商品が売れるかどうか、皆、気持ちの中に不安を持っているもんですヨ。ですから、皆の気持ちが同じ方向、つまり前に向いている時、少々の困難があろうとも、それを乗り越える事が出来るし、結果、上手く行くものなんですヨ。

 しかし逆に、後ろ向きのシトが居ると、何をするにも、嫌々(いやいや)と、後ろ向きになってしまうものですナ。どうせやるなら、前向きにやった方が楽しくなるのだろうにといつも思うのですが、どういう訳か、いつも後ろ向きなことばかりを言うシト、いるんですナァ。

 しかも、なぜかそのようなシトは嫌々を変えようとせず、本当にいつも不機嫌なのですヨ。悪いことに、こんなシトと一緒に仕事をしていると、周囲のシトも不機嫌になってしまい、つられて一緒に、暗く落ち込んでしまうのですヨ。

 敢えて言わせてもらえば、このような後ろ向きの影響力なんて、何の役にも立ちませんヤネ。いつものことですが、この役員、何で年がら年中嫌々なのでしょう。嫌々てェのは ”否々”と 書くこともあるくらい、シトの言うことを否定し、何かに付けてブレーキとなる、こんな嫌々の人達、何とかならないものでしょうかねェ。

 多分、後ろ向きに考えるシトにも、それなりの理由はあるのでしょう。例えば、新しい事に対する戸惑いもあるのでしょうし、失敗した場合、自分の責任になってしまうのではないか、そんな心配かもしれません。でも、上手く行かない事は、何をするにもつきまとう話、初めから何の問題も無い話なんてありませんヤネ。いつも言いますが、ダメだったら、そう感じた時に止めればいいのですヨ。そうすれば傷もそこまで。結果、傷口も小さくて済みますし、むしろ、傷になる前に済むじゃありませんか。何より、止めた、その停止ラインが新しいスタートラインになる、そういう事じゃありませんか。ですから、どうせやるなら前向きにやってみればいいじゃありませんか、ねえ。

 「へえ、またあの役員さんがそんなこと言ってるの? もう、いつものことだけど、大概にして欲しいわよねェ。部長も大変よね、さあ行くぞ!って時に、足を引っ張るようなこと言うなんて、出鼻をくじくって、こういうことかしら。でもね、こんな事が何回もあると、ひょっとして、人間って、最初は前向きに生まれているのに、変に知能が発達した結果、後ろ向きな考え方を持つようになったのではないかと思うの。もともと人間は前向きなのに、後ろ向きの人が現れたのは、人間の生きる環境の中に、社会という複雑な構成要素が加わったからかもしれないわよ」。

 う~ん、いつもながらお局の分析、中々鋭いですヨ。
 
 「だって、そうでしょう。人間の身体のつくりは殆ど全部が前向きでしょ。目は前を見るようについているし、鼻も一番前、口も前に向かって開くし、耳も前からの音を聞くようにできているじゃない。前に向いて歩くのが当たり前だし、ものを投げる時も後ろに投げる人はいないでしょう。サッカーだって、基本は前にパスを出すし、後ろにパスをするのは危険だし、至難の技、ごく一部の一流選手しか上手く出来ないじゃない。要するに、挙げればキリが無いくらい、人間の身体はもともと前向きなのよ。だから、人間はその身体と同じように、前向きに生きるようにできているのよ。身体は前向きなのに、気持ちが後ろ向きなんて、自然じゃないわ。人間は、生まれた時から、身体もそして心も、前向きに出来ているのよ!」。

 いやあ、お局、素晴らしい話ですヨ。

 そんなこんなで赤提灯。今夜は前向きに行きますヨ。えっ、ここに行くにはいつだって前向きだって? ははは、ごもっとも、“超”が付くくらい、前向きですワナ。

 「そうか、前向きかァ、そう言えば、おしっこだって前に向かってするようになっていますよね、先輩」。

 あ~あ、ハナからアスパラがトボケた事を言っちまいますヨ。

 「ホント、あんたはバカよねェ、そんなレベルだから、いつもウダツが上がらないのよォ! もっと、上品なシャレを言いなさいよ!」。

 そうそう、アスパラにはもっと勉強してもらわないといけませんよネ。
 
 「いやあ、お局のご高説、今日は勉強になったぜェ。確かに、人間てェのは、前向きに出来ているよナァ。魚や鳥、昆虫や小さな生き物は、周囲をキョロキョロ見回さないと、敵に襲われたりするので、身体のつくりがそうなっているんだな。人間は、生物の頂点に立ったが故に、前だけを向くことが出来るようになったのかもしれねェ。深いぜェ、この意味は」。

 部長も感じ入った様子ですヨ。

 「前向きですよ、特に日本人は。だって、そうじゃありませんか。戦争に負けてボロボロだった国を復興し、更には、この間の大震災。被災地では略奪も起きず、被災者が整然と秩序を保つ姿を、世界中の人が絶賛していました。悲しみの中で、よくもまあ、あれだけのことが出来ると、皆が不思議に思ったのではないでしょうか。でも、今日の先輩のお話を聞くと、そもそも、人間というのは前向きで、後ろを振り向くようには出来ていないのかもしれません。そして、特に日本人は前向きなのではないでしょうか」。

 欧陽春くん、そう言ってくれましたが、アタシ達、肝に銘じて、ズタズタになったこの国を復興しなければいけませんヤネ。

 先程、凹んだアスパラが、名誉挽回のつもりでしょう、今夜の勘定、任せて欲しいと言い出しましたヨ。お局、そこで一言。

 「へえ、アスパラ、感心じゃない。今夜は空気が読めているのね。ある意味で、すごく前向きよ。でも、大丈夫? ムリしてお勘定を払ってもらうのもいいけれど、それで首が回らなくなって、前しか向けないなんてシャレにならないわよ!」。

 さあさあ、今夜はこれでお開きです。お忘れ物など無いように、また明日!