「君はエレ(日経エレクトロニクス)を読んでいるかな?」
「はっ? いや、読んでいませんが…」
「そうだよな、これからはメカ(日経メカニカル。現・日経ものづくり)の時代だからな」
「…」

 今から16年前、当時の日経エレクトロニクス編集長から突然、社内でこう声を掛けられた。その編集長とはそれまでにほとんど話したことはなく、「一体、何を言っているんだろう?」と思った。それから数週間後、私は入社以来5年間在籍していた日経メカニカルから日経エレクトロニクスへの異動の内示を受けることになる。あのとき、日経エレクトロニクスの編集長が私に声を掛けた意味を、そのとき初めて知ったのだった。

 日経エレクトロニクス。それは当時の私にとって、とっつきにくい雑誌だった。プロセサ、メモリ、記録媒体、インターネット…。日経メカニカルとは明らかに異なる“世界感”がある。この編集部で、私はこれから何を書いていったらいいのだろうか。異動してからしばらくの間、私は一人考え、悩んだ。

 当時、日経エレクトロニクス誌面で花盛りだったのはパソコン、インターネット、HDDといった技術。百戦錬磨の先輩記者たちが書き競うこの領域に、私が新規参入しても歯が立つわけがない。そんな中、私が目を付けたのがカー・エレクトロニクスと環境/エネルギーだった。両分野とも当時の日経エレクトロニクスにとってはニッチな分野。ただ、私にしてみれば、日経メカニカル時代に扱っていた分野であり、土地勘があった。この分野に目を付けたというよりも、そこを少しずつ開拓していくしか私には道がなかったのである。

 とはいえ、いまやカー・エレクトロニクスと環境/エネルギーは日本の電機産業、そして弊誌にとっても主軸になった。ただ、今後もこの分野がメインであり続けるとは限らない。今、求められているのは次の新芽を見いだし、育てることだ。これは読者の方々の多くが属しているエレクトロニクス業界にとっても、日経エレクトロニクスにとっても最重要課題である。日本は観光や農業、金融などで“食っていく”ことはできないだろう。やはり、エレクトロニクス企業を中心とした製造業が日本をしっかり支えていくしかない。個人的には、そう強く思っている。

 4年前、日経エレクトニクスの編集長に就任して以来、毎年秋になると理工系の学生たちに講演する機会を頂いている。今年も東京電機大学、芝浦工業大学、京都大学、大阪電気通信大学を訪れた。講演内容は「エレクトロニクス産業の現状と将来展望」である。ここ最近、明るいニュースが多くないエレクトロニクス業界ではあるが、この業界に属するエンジニアにはやるべきことはまだまだ山ほどあり、画期的な技術や製品を生み出せれば世界を変えることもできる。チャンスは大きく広がっている。特に日本はモノづくりなくして、成り立たない。ぜひとも皆さんにはエンジニアになって頂き、世界を舞台に大いに活躍してほしい――。そんな思いをこめて、毎回1時間以上、学生たちに語り掛けた。

 数年前のことだった。ある大学で講演を終えると、一人の学生が私の下にやってきた。「僕は、日本にはもうエンジニアは不要なのかと思っていました。でも、今日の話を聞いて、考えが変わりました。メーカーに就職し、エンジニアになろうと思います」。私は理工系の学生の口から「日本にはエンジニアが不要」という言葉が飛び出したことに衝撃を受けた。同時に「これはイカン! 若い人たちにモノづくりの大切さや楽しさ、面白さを伝えていかないと、日本の将来は大変なことになる」と痛感したのだった。

 将来の主軸となるであろう次の新しい芽を見いだし、育てる。同時に、モノづくりの大切さや面白さなどを後世に伝えていく。繰り返しになるが、これが現行のエレクトロニクス業界に属する企業やエンジニア、そして日経エレクトロニクスに課せられた重要な課題だ。

 と、熱く語ってきた私ではあるが、12月31日をもって日経エレクトロニクスを“卒業”することになった。1月1日からは副編集長の大久保聡が新たに編集長に就く。私は「日経ビジネス」に異動し、これまでと違う視点からエレクトロニクス/自動車業界と接していく所存である。もちろん、これからもモノづくり、そして日本の技術者たちを応援し続ける気持ちに変わりはない。

 最後になりましたが、読者の方々、取材にご協力して頂いた方々、16年間どうもありがとうございました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。今後とも日経エレクトロニクスをどうぞよろしくお願いいたします。