宮田氏は言う。「とにかく頑張って、戦うしかない。大企業もビジネスには大きな投資が必要であり、それは戦うことです。日本の大企業は経営者がそのリスクを取らない。下の社員にもリスクを取らせないから成長しない。明治維新でも第二次大戦後も、リスクを取り続けたから日本は成長できたはずですよね」。

 今の被災地の自治体には、具体的な復興のプランを考える余裕はないと宮田氏はみる。政府もそれを十分に理解していない。だから、自ら企業を立ち上げ、復興プロジェクトを推進しようとしているのだ。「日本には資金も技術もあるが、マネジメント力がない」と感じているからだ。「そのマネジメントを30歳代の若い人たちにやらせたい。優秀な若者が10人集まれば、かなりのことを動かせるようになります」という強い信念が同氏にはある。

 日本の企業や役所の幹部諸氏も、ぜひ若者たちに活躍の場を与えていただきたいとお願いしたい。そう思った。

多くの難しい課題を投げ掛けられている

宮田氏の研究室は、東大工学部船型試験水槽にある。1937(昭和12)年に海軍から寄贈された、長さ90mの試験水槽を管理しており、今でも研究室のことを水槽と呼ぶことがある
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 復興プロジェクトで特に重要なことは、新しいモデルが「日本固有種」にならないことだと私は思っている。あまりにも日本特有の文化や慣習に捉われてしまうと、他の場所での展開が難しくなる。復興プロジェクトは、海外を含め、同じように開発を期待される地域でのモデルになる必要がある。そのためには、日本の企業や組織が中心となって広く海外からの参加を受け入れ、開かれたプロジェクトにすべきと思う。

 加えて、すべての点で徹底してコスト意識を持つべきだ。同じことを海外の途上国でも展開できるようにするためである。日本の素晴らしい技術や製品は、どうしても割高となり、そのまま海外では展開できないことがある。例えば、東日本の復興の一つの要素として太陽電池パネルの採用が予想されるが、この分野では価格差から日本メーカーの世界市場シェアが低下している。円高が進んだ結果、コスト問題はますます深刻となるだろう。

 今は、ニッポン全体がチャレンジするべき時だ。宮田氏が言うように今頑張らないと、日本は永久に立ち上がれないかもしれない。必ずしも自分の意図とは関係なく、ニッポン全体が多くの難しい課題を投げ掛けられている。宮田氏の持論通り、努力して勝つしかないのだ。同氏と一緒に大きな課題に立ち向かう若者たちに大きな期待を寄せると同時に、読者の皆さんとともに「宮田さんに続いて頑張ろう」と、インタビューを通じて決意を新たにした。

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