今年夏ごろを契機に、産業界や大学界などの動きがにわかに慌しくなってきたエレクトロニクス分野があります。半導体技術と磁気技術を融合した、いわゆる半導体スピントロニクスです。口火を切ったのが東芝です。2011年7月13日に、大手メモリ・メーカーの韓国Hynix Semiconductor社と、磁気メモリであるMRAMの共同開発に取り組むことを発表しました。東芝の技術者が韓国に渡り、Hynix社の拠点で共同開発を進めています。両社はMRAMの生産でも協業する見込みです。東芝の発表の直後となる2011年8月3日に、メモリ最大手メーカーの韓国Samsung Electronics社も即座に動きました。STT-MRAMに関する基本特許を複数保有しているとされるMRAM開発企業である米Grandis社の買収を発表したのです。

 Samsung社などの大手メモリ・メーカーが一斉に動き始めた背景には、技術的な裏付けがあります。ここにきて、莫大な市場規模を誇るDRAMの代替が視野に入りつつあるのです。技術的なポイントは大きく二つあります。一つは、既存のMRAMから動作方式を抜本的に変更したSTT-MRAMの技術開発が佳境を迎えていること。既存のMRAMは微細化に対応しにくいという課題がありましたが、このSTT-MRAMでは微細化への対応が相対的に容易になりました。もう一つのポイントは、MRAMの記憶素子であるMTJ(磁気トンネル接合)について、HDDの記録密度向上に貢献している垂直磁化方式の適用が可能になる見通しが付いてきたことです。現行のMRAMに利用されている面内磁化方式のMTJに比べて、少ない電流でデータを書き込めるため、より微細化に向く技術です。

 そして、このSTT-MRAM向けの垂直磁化MTJの研究開発で、世界的に注目されているのが、東北大学 電気通信研究所 教授の大野英男氏のグループです。同氏が中心となって提案した界面磁気異方性を有する垂直磁化MTJについては、論文発表後、世界中の研究機関やメーカーが追試を行ったとされています。

 その大野氏の名前を聞いてピンときた方は少なくないと思います。同氏は、情報サービス企業の米Thomson Reuters社が2011年9月に発表したノーベル賞の有力候補24人のうち、日本人として選ばれた人物です。同氏の研究テーマは、スピントロニクス分野の「希薄磁性半導体における強磁性の特性と制御に関する研究」です。本来は磁石の性質を持たない半導体に、その性質を持たせようとの研究です。このテーマそのものは基礎研究的な色彩が強いものの、同氏の研究開発にかける時間のうち、現在は「基礎研究が5割、残りの5割は不揮発性メモリや不揮発性ロジックなどの応用面の技術開発」(同氏)といいます。同氏は基礎研究と応用技術開発の両輪により、「LSIの進化に新しいパラダイム・シフトを起こす」と語ります。

 今回、大野氏をはじめ、世界中で積極的に技術開発が進められている半導体スピントロニクス技術の現状と今後について、特集記事をまとめました(関連URL)。大野氏のロング・インタビューも掲載しています。ご興味を持たれた方、ご一読いただけると幸いです。