連載主旨
「ダイアローグ」や「ワールド・カフェ」と呼ばれる取り組みが、静かに裾野を広げている。会社や業界といった既存の枠を超えて、さまざまな社会人が集まり、対話する“場”をつくる活動だ。数~数十人の普通の社会人が一つの場所に集まり、社会やビジネスの課題、働き方といった共通のテーマについて意見を出し合う。必ずしも、その場で何かの結論を出すわけではないし、参加がビジネスに直結するわけでもない。ただ、参加者は、そこで出会った他の参加者がつむぐ物語や意見から、何らかの“気付き”や“アイデア”を日常生活に持ち帰る。
 SNSやTwitterなどソーシャル・メディアの興隆は、既存の社会のヒエラルキーを崩し、誰でも知り合いになれ、議論できる環境を生みつつある。そのリアル版とも言える取り組みが、ソーシャル・ダイアローグだ。答えのない時代、企業という枠の中だけでは、必ずしも面白い解を導き出せない。有名人に聞いても分からない。社会を元気にするのは、企業や業界など既存の枠組みの外にできた「小さな数多くの緩やかな人のつながり」を活性化させることだ。オープン・イノベーションが叫ばれる開発現場もしかり。新しい技術のヒントは社内だけではなく、枠の外にあるいつもと違う視点に隠れている。
 このコラムでは、こうした活動に携わる製造業のサラリーマン3人組が、実際のダイアローグの様子や、対話の場への参加、その場をつくるノウハウ、活動から得た気付きなどを紹介していく。
かなりあ社中
ひょんなことから知り合ったサラリーマン3人組。社会人としての経歴も年齢も立場も異なるが、会社とは全く関係のない個人による共通の活動として、「ソーシャル・リーマンズ」の普及活動を進める「かなりあ社中」の一員という裏の顔を持つ。企業や業界の枠を超えてさまざまな社会人が対話できる “場(ba)”への参加や、“場づくり”から、何かを生みだすという“創発”思考で行動し、社会や開発現場に元気を注入することが彼らのチームの活動目的。もちろん、普段は真面目に(?)各企業の中堅・ベテラン社員として活躍している彼らだが、本来「社会人」であったはずの自分たちが、いつの間にか「会社人」になってしまったことに気づき、企業のかたちを変えるべく、ソーシャル・リーマンズの啓発に日夜奔走している。
臼井 清(うすい・きよし)
満員電車での通勤が嫌で、ウインタースポーツ好きだったので、1984年に諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)に入社。半導体を中心とする電子部品の営業として、大阪を振り出しに台湾や英国、ドイツなどで経験を積む。「部活」と称して、週末は、ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京(SVP東京)や、かなりあ社中などで活動しているうちに、“若気の至り”から30年務めた会社を自主退社して2014年12月に独立起業。「志事(しごと)創業社」代表として、面白く働くサラリーマンなどとの協働で、新しいビジネスを創造することにチャレンジ中。
塚本 恭之(つかもと・やすゆき)
京都生まれ。音楽好きから「電子楽器の企画がしたい」という軽い気持ちで某電子機器メーカーに入社したものの、入社後は物流部門や労働組合の委員などを担当する。社員と会社が共に成長するためにはイノベーションの創出と支援が必要と感じ、経営企画部門に異動。その後、いくつかの社内変革プログラムの企画を担当する。現在はIT事業部門の関連会社に出向中。
山本 啓一朗(やまもと・けいいちろう)
1999年に「創業100周年だった」という理由でNECに入社。メディア業界担当のシステム・エンジニア(SE)として映像関連システム開発のプロジェクト・マネジャー(PM)を経験した後、2009年から経営企画部で企業内の変革を目指して奮闘(道半ば)。また、「できること」を「やれるだけ」の想いで震災復興支援「プロジェクト結コンソーシアム」も展開中。復興庁(宮城)での2年間を経て、現在は、東京と宮城どちらでも奔走中。