実はソニーの方に伺ったところ、「アップルにiPodを教えたのはソニーです」と仰っていました。これもたぶん何かが裏にあったのでしょう。当時も今も、アイデアやコンセプトは地球を駆け巡っています。そして多くの方が想像するより多くのアイデアやコンセプトはメーカーを超えて共有されているのは間違いありません。

 アイデアやコンセプトだけではありません。製品に必要な部品などは、実際のビジネスとしてライバル会社の間でも煩雑に取り引きされています。日本のメーカー間だけでなく世界のメーカー間で行われています。業界の方は周知の事実でしょうが、例えば日本メーカーのライバルと目される韓国メーカーに日本メーカーが重要な部品を供給するといったような例は枚挙にいとまがありません。韓国メーカーの製品だと思っていたら実は日本からのOEMだったという製品すら実に多いのです。

 最近では部品取引ではパートナーであるアップルとサムスンが最終製品である携帯電話では互いに訴訟を起こしあっているという報道がされ、一般の方もこういった取り引きがあるのだと改めて理解されてきているでしょう。

 部品や製品だけでなく、人の交流も当然そこには存在します。アイデアや構想といったものまでが世界を駆け巡ることになるのは当然の帰結です。お互いライバルが何をしているかをよく知っており、技術やアイデアを共有しています。それなのに、昨今の日本企業からはその新しいアイデアやコンセプトに基づく革新的な商品が残念ながら現れていません。

 先日ジョブズが亡くなり、これを伝えるマスコミ報道が過熱する中で、ジョブズのビジョナリー性、革新性が注目されています。一部ではiPhoneなどのスマートフォンはジョブズが考え出したアイデアだったかのように報道されています。しかし、それはジョブズだけが生み出したアイデア、コンセプトだったのでしょうか。

 もう少し深掘りして見ましょう。

 『Apple Confidential 2.0: The Definitive History of the World's Most Colorful Company』(Owen W. Linzmayer著)という本には、90年代にアップルが手書き入力機能を持つPDAであるNewtonのソフトウエアをシャープにライセンスし、シャープはそれを元にExpertPadという製品を作ったという記述があります。これを裏付けるようにネット上にはExpertPadの写真もいくつか存在しています。

 また、Palm OS用コンテンツはシャープのPDAであるザウルスでも使用できる環境が存在しました。こういった手書き入力を伴ったPDAは一時あちこちから売り出されちょっとしたブームになり、やがて消えて行きましたが、互いになんらかの関係があったと想像できます。

 時間の経過とともに技術が進み、PDAもより使いやすいものが作れる下地ができてきました。実はアップルはiPodの次にiPadを開発していましたが、販売上の戦略を考えてiPhoneを先に出したという記述を目にしたことがあります。

 紆余曲折を経てタッチパネルを用いた情報端末という概念自体が育っていきましたが、それらはアップルがまったく独自で編み出したものではないといえるでしょう。これらのアイデアは、多くのメーカーの間で共有され、各社からいろんなタイミングで製品化されています。しかしながら、手書きやタッチパネルという機能を盛り込んだ情報端末製品を商業的に最初に成功させたのはアップルだったのです。