加藤 その後、博士課程を終えた後に天安門事件が起きたわけですね。

 1989年3月に博士課程を終えて、その年の6月に事件が起きました。実は、既に北京大学で教えることが決まっていたんです。中国の新学期は9月からなので、奈良にあるATR(国際電気通信基礎技術研究所)に客員研究員として在籍していたんです。

加藤 天安門事件がなければ、中国に帰っていたということですか。

 そうだと思います。日本のテレビで生々しい光景を見て、やはり不安でしたね。中国という国はどうなってしまうのかと。当時は若かったので、今の中国の姿を想像できなかったですから。奨学金は返却して、日本に残ることにしました。

加藤 激動の1年間でしたね。その後、大阪大学、立命館大学と大学教授への道を歩むわけですね。

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 1990年に大阪大学の助手になりました。実はその間に日本で結婚もしたんです。腰を据えて、日本で研究を進めようと思いまして。

 その後も立体視関連の研究を一貫して手掛けました。日本でコンピュータ・ビジョンによる立体視の理論研究を始めたのは早い方だったと思います。米Harvard Universityのロボット関連の研究所に研究員として半年間滞在する経験もしました。米国には、世界中から優秀な研究者が集まっていると実感しましたね。

加藤 そうした研究での経験を生かして三次元メディアを起業したんですね。今、社員は何人いるんですか。

 14人くらいですね。来月には、大学にあるインキュベーション施設を卒業して、JR南草津駅前の商業ビルに引っ越します。

加藤 開発している立体視を使った産業用ロボット向けの認識技術は、どれくらいの市場規模があるのですか。