【対談】―― 徐剛 × 加藤幹之
うなるほど資金がある方がおかしい
加藤 今の中国はものすごく元気に見えます。中国と日本の両方の文化を知る徐さんが、なぜ日本でビジネスを始めたのかに興味を持って、今日はインタビューをお願いしました。経歴を見ると、もともとは東南大学を卒業したんですよね。
徐 そうです。在学当時は、南京工学院という大学でした。私は江蘇省の出身で、江蘇省の省都が南京です。大学では通信を専攻しました。
中国では1979年に改革開放政策が始まりましたが、文化大革命の後に中断していた大学入試は1977年に復活したんです。私は、入試復活後の2期生ということになります。日本に来たのは、大学卒業後の1983年のことです。
加藤 ご両親は何をなさっていたんですか。
徐 両親は中学校の教師でした。父が国語、母が数学の教師という普通の家庭です。
加藤 日本に来たのは大学を卒業した翌年ですね。国の留学制度ですか。
徐 そうです。中国政府に派遣されて、大阪大学の大学院に留学しました。
加藤 それは、相当に優秀だったということですね。どうして日本に。
徐 確かに選ばれるのはなかなか大変でした。日本を希望したというよりも、政府の派遣制度の枠がそうだったということです。日本だったのは、たまたまなんですね、実は。同じ時期に、150人ほどが日本に留学生として派遣されたと思います。
加藤 日本語の勉強はしていたんですか。
徐 1983年10月に来日しましたが、その直前の半年ほど大連で日本語を学びました。とてもありがたいことですが、その時にとても著名な日本語の先生が日本政府の派遣で教えに来てくださいましたね。
日本での研究テーマは、3次元のコンピュータ・ビジョンを選びました。小さい頃から数学が得意で、3次元立体視は、数学の要素を多く含んでいるので、得意分野を生かせると思ったからです。人間と同じような視覚機能をコンピュータに持たせようとすると、立体視は必須です。人間の目は苦労せずに立体視をしているけれど、コンピュータに同じ処理をさせるのは結構大変なのです。