コピーは競争戦略の一つでもある

 コピーは、弱者にとっては生存と発展の一つの手段である。日本の企業をふくめ、多くの企業は既存商品とサービスのコピーからスタートした。コピーからスタートした企業は多いが、その中で強く大きくなったのは、コピーを目的としたのではなく、コピーを通じて、学習したり、改善したりする企業だ。中国を代表するハイテク企業、華為、ZTE、BYDなども、市場や利益を得た後、コピーの段階から、迅速に改善やイノベーションを始めた。

 賢いコピー、イノベーションを生み出すコピーは、後発者が追いかける最短な道でもある。合法的な範囲でのコピーは、自らのイノベーションよりも速く安く商品を作れるだけではなく、低リスクで収益性を確保することが可能だから、一つの競争戦略といえる。企業の資金や時間といったリソースを既存の他社製品の研究に充て、模造対象となる商品に、ある程度の改善を加えることによって、少ない投入で大きな利益を得られる可能性が高い。

 ヒット商品を生み出すためのイノベーションには、相当な研究開発の人員と資金と時間を費やすにもかかわらず、その商品が売れるかどうか分からないという厳しい現実に直面する。成功を見込めない商品を開発するのに莫大な経営資源を投入するよりも、すでに売れている既存の商品やサービスをコピーしたほうは圧倒的に効率が良く、市場に参入しやすく、宣伝費用を含める必要なコストもかなり抑えられる。日本では、昨年、食べるラー油が人気になった途端に、多くのメーカーが参入し、店頭ではさまざまなラー油が現れた。

 競争戦略の一部としてコピーを意識するのは、先進国でも、新興国でも、周知の事実である。その考えは実力が弱い中小企業に限ったことではない。大企業も使われている。

コピーの活用も一種の「イノベーション」?!

 日本でも人気の高い書籍『フリー』の第14章のタイトルは「フリー・ワールド」。サブタイトルは「中国とブラジルは、フリーの最先端を進んでいる。そこから何が学べるだろうか?」とついている。中国の海賊版の事情をよく理解した上で、海賊版は有効なビジネスモデルの一つではないかと論じている。

 同書によれば、現在のミュージシャンは不正コピー業者と戦うのではなく、それを受け入れているという。不正コピーは、自分達の作品を多くの潜在ファンに届けるので、コストがかからないマーケティング手法と考えているのだ。レコード会社は自分たちのビジネスを根本から考え直すことを強いられてきた。ディスクに録音した音楽CDを売ることでは稼げないので、別の方法で売ることにした。不正コピーがもたらした名声のお陰で、ファンが増やせ、またメディアやCMに出演することで出演料が貰える。加えて、人気が出ることでコンサートツアーも増やせる。全体的には、むしろ収益が高くなったという。

 若者は、新しい物に対しての強烈な欲求があるが、手持ちのお金が少ないため、コピーといったローコストの製品に惹きつけられる。本物とコピーという二つの製品は、お互いに市場が異なるセグメントをターゲットにしており、相手の役にも立っている。コピー商品が登場することは、流行に敏感な人だけのものから大衆のものへと素早く移行できるメリットがあると言える。

 マイナス面は、コピーが本物の売り上げに結びつくはずの需要を奪うこと。一方、コピーが溢れることによって、そのブランドを認知させるプラス面としての効果もある。

 コピーが実際に本物を助けているという考えは、特にファッション、コンテンツ業界では新しいものではない。経済学でこれは、「海賊版のパラドックス」と呼ばれているという。前述の『日本文化の模倣と創造』によると、海外の海賊出版社は、市場がある規模まで大きくなると、正規の版権が欲しくなるという。海賊出版社から日本の版元に働きかけて、正規代理店の契約をする。そのとき、日本の出版社にとって、すでに売り方を知っている海賊出版社のほうが、経験がない出版社よりも手堅いパートナーになるという皮肉な現象が起きている。

コピーとの向き合い

 中国においてはごく一部の企業は、「守」から「破」、「離」へ進化しているかもしれないが、多くの企業はまだ合法的に「守」を継続すべき段階にある。急成長しているBYDは、日本の技術、特に管理のノウハウを吸収するために日本の金型企業を買収した。それと対照的に、中国の高速鉄道は「守」の段階も超えていないのに、「離」へ躍進しようとしたが、結果として逆に後退し、見直しを余儀なくされた。

 中国へ進出した日本企業にとっては、中国のビジネス環境、中国の企業文化、強いコピー能力をよく把握した上で、チャンスと脅威を冷静に推し量り、勝つための技術戦略を練ることが必要だ。いわゆる、孫子の兵法の一つである「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」。場合によっては、中国企業のやり方を参考にする必要があるかもしれない。