「次郎さん、折り入って相談があるの。すっごく仕事の出来る人がいるんだけど、転職したいって言ってるのよ、ウチの会社にどうかしら…」。珍しく、お局が相談事ですヨ。

 「へえ、お局が折り入ってなんざァ、余程のシトなんだな、そのシトは。一体、どういう関係なのサ。いやいや、深くは聞かねえがナ」。

 「変な言い方しないで! 友人よ、それも私の大親友がいる会社の課長なんだけど、何回か私もご一緒して、キレ者って直ぐ解るような、そんなタイプよ。大親友と同期で、出世街道まっしぐら、…なんだけど、それが、もう辞めたいって言いだしたのよ」。

 なんでも、そのシトはお局の大親友のいる会社、これが一部上場の大会社なんですが、今は広報部にいるらしいのですナ。大会社の広報部、そりゃ確かに重要な部署ですし、その対外的な窓口の担当課長てェ事ですから、遣り甲斐もある筈、なのに、もう辞めたいなんて、この話、何か裏がありそうですヤネ。

 「おいおい、まあ優秀なのは分かるけど、ウチの会社、いくら優秀でも、大会社のシトが転職したところで、ピッタリの仕事なんざァ、難しいぜェ。それに、空いてる椅子も無いしナァ。ところで、何故、辞めたいって言いだしたのサ」。

 「そう、ウチがムリなら、どこか紹介してやってよ、本当に可哀想なんだから…」。
 ははあやっぱり、どうやら何かありそうですヨ、しかも、複雑な裏話がネ。

 「その会社、ほら、例の不祥事で有名になっているあの会社なんだけど、その対外窓口の広報担当者として大活躍、社内で絶賛されている、というのが普通でしょ? ところがどっこい、外からの矢面(やおもて)に立つのはいいけれど、後ろからも矢が飛んで来るって、相当、凹んでいるのよ。どういう事かと言うと、例えば、不祥事について、記者会見でちゃんと説明してヤレヤレと思っていると、上司や役員から、あの言い方がどうだ、この情報の出し方は問題だ、なんて、終わった後に、もう、非難轟々らしいのよ。あげくに、『キミが言った事は間違っている』なんて、そう言えと言った上司、当の本人が前言をひっくり返して知らん顔、なんてことばっかりらしいのよ。それで孤立無援、人間不信というか、誰も信用できなくなって、もう辞めたい、そういう訳なのよ」。

 いやいや、複雑な話ですワナ、この話。でも、よく考えると、ありそうですヨ。会社の不祥事を、広報を通じて世間に公表して詫びる。それだけでも嫌な仕事ですが、その上、会社の都合によって、コロコロと公表の内容を変えるなんざァ、大会社にはよく有るてェ話ですヤネ。でも、その責任を、矢面に立っている担当者のセイにするなんて、最低ですヨ。

 「決定的だったのは、いよいよになって社長が出て謝った時よ。その社長、はじめに、『全部の責任は自分にある、だから辞める』なんて、イイ恰好しちゃったのよ。そりゃ、辞めるのは簡単だけど、後の始末はどうするのって事よね。だから、彼が気を利かして、そんな事を言わないで、しっかりと始末をつけてから進退を考える、っていうメモをサッと入れたのよ。そしたら、その社長、それをそのまま読むように言い直したものだから、記者の集中砲火を浴びたって訳。その社長が、メモをちらっと見てから、自然に振る舞えばいいものを、そのまま読んじゃったのよ。その場は、その課長が引き取って、何とかなったらしいのだけれど、その後よ、何が起きたか、想像できる? 何と、メモを入れたタイミングが悪いって、今度は身内から、課長が集中砲火で吊るし上げられたって訳よ。これじゃあ、やってられないわよねェ。その場に居ながら、何もしなかった人達が、結果が悪くなると、途端に非難するなんて、もう最低! アタシだったら、その場で辞めちゃうけど、言わば公務じゃない、課長はそういう立場だから、そう簡単には行かないのよ。本当は、広報部が一丸となって、外の人たちに理解を求めるように考えるのが仕事なのに、身内に責任を転嫁するなんて、もう、大会社の広報部って、どういう料簡(りょうけん)なのよ!」。

 確かに、こうして聞いてみると、大会社の広報部んざァ、大変なんでしょうナ。会社が大きいほど、派閥てェものもあるだろうし、社長の腰巾着みたいに、ケチな奴もいますワナ。社長の不手際を、その広報担当者のセイにして、自分の保身を考えるなんざァ、腹が立つより、何か侘しい気もしますヨ。

 そんな訳で、ウチの会社はムリとして、何かのご縁ですワナ、その大会社の広報担当者を、いつもの赤提灯で慰めようてェ事になったのですヨ。

 「アジア電機広報課長の広田さんよ、次郎さん、今日は有難うございます。こうして慰労会をしてくれて」。

 「佐々木次郎です。いやあ、お局の言う事ですから、知らんぷりはできませんヤネ。これも何かのご縁ですし、今夜は思いっ切り、腹に溜まっているものを吐き出しちまってくださいヨ」。

 「いやあ、スミマセン。僕の為に申し訳ありません。京極さんにちょっと愚痴っただけなんですが、大ごとになってしまって…」。

 同席した部長も、「いやあ、広田さん、大変ですねェ。大会社の広報なんて、本当は会社の文字通りの顔なんだから、みんなであなたをフォローして、助け合うのが普通じゃないんですかねェ、聞いてビックリしましたヨ。アタシもテレビで見ていましたから、あの記者会見の裏側で、そんな事があったなんて、そりゃあ、嫌になりますわナァ」。

 …飲むほどに酔うほどに…。

 「何が困るって、後になって色々な事を言う人が居るという事なんです。こっちは、やり直しがきかない記者会見。ですから、何をどのように表現するか、それが勝負じゃないですか。傍目には短く簡単に見えるけど、そりゃあ、時間を掛けて練りに練って会見する訳ですよ。だから、勿論、上司にだって了解を貰ってるし、何より広報部としての発表ですよ。ですから、課長の私より、部長に全ての責任がある筈じゃないですか。それを、後になって、課長の勇み足だとか、課長の職権を越えているだとか、もう、やってられませんよ。敵とまでは言いませんが、向かうところは記者の皆さん。それが、本当の敵は後ろに居る。そんな感じです」。

 「広田さん、で、肝心の社長は何て言ってるの? あの記者会見、ちょっとみっともなかったけど、結果は、早期退陣しなくてもよくなったじゃない。社長、少しは広田さんに感謝しているの?」。アタシもお局と同じ、そこが聞きたいですヨ。

 「ははは、それが、あの後で担当を外されたのですよ。同じ広報部なんですけど、対外的に出る事はもうありません。裏方の仕事に回されたのです。社長とは、会うことはありませんし、もう、ずっと会えないでしょう」。

 「何ぃ? 社長は知らんふりだとォ! 許さん! そりゃあないだろう! あのメモで、結果、救われたんじゃねェか。あのままだったら、イイカッコしただけでそのまま終わり、何もしないで、そのまま辞めなきゃいけねえ筈なのに、とんでもねェ!」。

 いやいや、部長が吠えるのも仕方ありませんヨ。こんな事じゃ広報なんて誰もやるシトが居なくなっちまいますワナ。

 おっと、欧陽春君が何か言いたそうですよ。

 「そうですか、日本の大会社の広報部の方も大変なんですね。中国でも、広報部が出来たのは最近なんですが、やっと、ちゃんとした情報を公表出来るようになりました。以前は、会社の都合、いや、もっと違うところの都合が優先されたものですが、近頃は、本来の広報が出来るようになりました。でも、日本の会社も、裏でそんな事があるなんて、どこも大変ですねェ」。

 聞いたアスパラ、「欧陽春クン、キミの国と日本は違うよ。キミの国での問題点は、会社の枠よりも、もっと大きな意志が働いているんじゃないかい。日本の場合は、人間関係と言うか、社員の都合と言うか、要は、みみっちい話なんだよ。よい悪いは別にして、高所大所での議論じゃないところが、困ったところなのさ。ねェ、広田さん」。

 言われた広田さんも、「ははは、まあそう言われればそうなんだけど、全部が全部そうういう訳ではありませんよ。ただ、本当の広報部がしっかりとしている会社、あまり見掛けませんね。あっ、勿論ウチも含めてですがね」。

 続けてアスパラ、「ほら、テレビに出ていた偉い人、女性問題でいなくなっちゃいましたけど、広報部の人って、もてるんじゃないですか? ねえ、広田さん」。

 すかさずお局が、「バカな事聞かないでよ! もうアンタみたいな社員が居るって、広田さんが記者会見しちゃうじゃない!」。

 広田さんもシャレの効いたシトですヨ。「そうだ、アスパラ君、ウチに来て広報をやりませんか。そりゃあ、勉強になりますよ。前からも後ろからもタマがビュンビュン飛んできますからね。見たところ、アスパラ君はヘナヘナだから、案外、撃たれ強いかもしれませんよ!」。これには一同大笑い。

 やれやれ、我が社は平和って言えば、平和って事ですワナ…。事件になるようなことも無いし、不祥事もありませんからねェ。

 えっ? 社員が不肖だって? そりゃ、恐れ入りました…。