「次郎さんよォ、最近の若いもんてェのは、礼儀を知らねえ、いや教えてもらって無いのかナァ。とにかく、ひどすぎるぜェ。もしも俺に、あんな態度をとったら、『貴様ァ、表に出ろ!』って、どやしつけてやるんだが、あいつは大人しいから、何にも言わないで苦笑いサ。一体、いつからこんな事になっちまったんだろう」。

 部長のところのK課長、その部下の礼儀がどうも好ましくないような。いや、好ましくないどころか、見ている部長がイライラするくらいに態度が横柄で、口のききかたも無礼なのですヨ。

 「部長、そんなにイラつくなら、直接、注意すればいいじゃないか。第一、見ていてイライラするなんざァ、特に部長の場合は身体に悪いヤネ」。
 「次郎さん、俺もそうしたいのは山々だけど、課長の部下なんだし、やはりK君が解決すべき事なんだよ。ある意味で、これもK君の勉強ってもんよ」。

 よくある話かもしれません。部下のお行儀が悪いのを、直属の上司が注意すればいいものを、その上司が、キリッとしない場合もありますワナ。部長も、それは分かっているものの、ここはK君に任せるのが大事てェもんですヨ。

 しかし、K君の部下、仕事はそこそこ出来るのですが、とにかく礼儀を知らないのですヨ。一体、どんな教育を受けて来たのやら、或は、どんな家庭に育ったのやら…。

 そんなこんなで2、3週間経ちましたか…。

 「部長、その後のK君どうしたのサ。バシッと部下の手綱を引いたのかい?」。
 「それがよォ次郎さん、全~然ダメ。K君、何にも言わないんだ。部下は相変わらずの無礼千万。かえって、ひどくなっている感じもするくらいだぜェ。一体、どうしたらいいんだろうか。困ったもんだ」。
 部長も、K君に任せるって事に決めた訳ですから、そう簡単には口を出せません。部長も辛いところですナ。 

 「何よォ二人とも、雁首並べてシケた顔、どうしたのよォ?」。おっと、お局に気付かれてしまいましたヨ。しかし、こうして聞いていると、お局の言葉使いもヒドイですゾ。ガンクビナラベテシケタカオなんて、外国生活が長い割に、江戸っ子のテキヤみたいじゃありませんか。続けて、「何ィ? K課長の部下が無礼だって? しようがないわねェ、何ならアタシがシメてやろうかしら!」。

 「おいおい、部下も無礼だが、お局も、結構、無礼に聞こえるぜェ。気を付けなくちゃナァ」。部長もアタシも、こっちが心配になりますヨ。

 「あら、失礼しました。確かに、少し言葉使いが荒くなってしまいましたわネ。気を付けますわ。ほほほ」って、本当に大丈夫?

 「ところでK課長、多分、注意しようにも、どうしたらいいのか、分からないんじゃないかしら。ううん、彼の技量が無い訳じゃなくて、注意する論拠っていうか、注意に値する根拠、そこが分からないと思うのよ」。論拠? 注意するのに論拠が必要なんて、知りませんでした。お局の話、詳しく聞いてみましょうヤ。

 「アタシ、変な話だけど、その部下と同じような事があったのよ。ほら、永いこと外国で暮らしていて、日本に帰ってきて就職したのはいいけれど、日本流の礼儀なんて、誰も教えてくれないじゃない。第一、目上の人に対する敬語や挨拶の仕方なんて、出来ると思われているから、そんな基本的な事、誰も教えてくれないのよ。だから、今考えると自分でも笑ってしまうようなチョンボ、山のようにあるのよ。一番、面食らったのは目上の人に対する対応の仕方よね。育った国では、特に目上とか目下の序列なんてないから、好ましいと思えば友達みたいに接するじゃない。そう、タメグチで話すのよ。それが、日本に来て、目上の人には敬語を使えって、そう言われても、何故そうするかが分からない。これが一番困るのよ。どうして目上の人には敬語を使わなければいけないのか。誰も、バシッと教えてくれないのよ。困ったわよ、本当に…」。

 確かに、理由が分からないのが、一番、困りますワナ。お局の場合、それを、どうやって理解したんでしょうか、続きを聞いてみましょうヤ。

 「そこそこ、それが肝心なところ。アタシ、いま振り返ってもすっごくラッキーだったと思うの。もう退職された方だけど、当時の人事部長にこう言われたのよ、『ならぬことはならぬもの。いけない事はいけないのです。だから、目上の人には敬語を使う。それがこの国のやり方ですから、そうしなさい』って、バシッと教えてもらったの。それまで、色々な理屈を付けて、敬語を使う理由や仕組みを教えてもらっていたけど、全~然、分からないのよォ。それを、理屈じゃなくて、ダメなものはダメ。だからちゃんとやれ、そう言われて、一番、分かりやすかった、本当に…」。

 「その方は『これは、会津の什の掟』と仰っていたわ。今でも覚えているけど、日本人には日本の決まりがある。それが嫌なら他の国に行けばいい。これも分かりやすかった。外国では当たり前よ。ある意味、その国がいいから住んでいる訳で、嫌なら他に行けばいい。これって当たり前のことだから、そう言われて、ストンと腑に落ちたのよォ」。
 いやあ、ビックリしました。会津の什(じゅう・藩士の子弟をグループ分けした呼称)の掟(おきて)、お局から聞けると思いませんでしたヨ。では、会津の什の掟、解説いたしましょうかネ。

 会津藩士の子供は、10才になると「日新館」(会津藩校)への入学が義務付けられ、その以前より、6歳頃から藩士としての心得が繰り返し繰り返し教え込まれたそうで、それが什の掟ですゾ。あの白虎隊で有名な、会津精神の基本となっているのですヨ。

それは、

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ 
二、年長者にはお辞儀をしなくてはいけませぬ 
三、嘘言を言うことはなりませぬ 
四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
  ならぬことはならぬものです(いけないことはいけない)

というもので、まあ、中には現代ではちょっと? と首をかしげるようなところもありますが、当時の規範だったのでしょう。武士の子供たちは、一心に什の掟をまもり、勉学に励んだとの事ですヨ。

 しかしこの掟、今でも、陰湿ないじめなど、現代社会が抱える問題にも見事に答え、しかも、その解決方法までも教えてくれているかのようではありませんかねェ。これらの教えは、残念ながら現代では聞かれなくなったことですが、昔の家では親が子供にきちんと教えていた、当たり前といえば当たり前の事ですワナ。お局をある意味で救ったのも、理屈ではなく、ならぬことはならぬもの、そう言い切る、この教えがあったからではありませんかねェ。

 「お局、見直したぜェ、確かに、K君はどういう根拠で注意しようか、そこで悩んでいたのかもしれねえ。会社にはそんな規定はないし、第一、日の丸や国歌で起立するのかしないのか、そんな教育を受けて来た若い者は、案外、基本的な事を知らないんじゃないだろうか…」。

 部長も、納得です。アタシも同感ですが、一体、いつの頃からこの国でこのような教えが聞かれなくなったのでしょうか。いや、言えなくなったのかも知れませんナ。でも、今だからこそ、この教えに耳を傾け、K課長の部下に教えてあげなければいけませんヤネ。

 よく考えれば、開発やビジネスは、人生と同じですヨ。多くの人たちと触れ合い、あるいは議論をしながら、如何により良い方向に進んで行くか、それが一番大切なことですワナ。

 そして、多くの人達と触れ合うためには、それなりのルールが必要じゃありませんか。ルールとは絶対的なもので、理屈抜きに、まもらなければいけませんヤネ。ときに、自分にとっては理不尽なことでも、先達たちが決めた、それこそ「ならぬことはならぬもの」がルールなのですヨ。

 さてさて、話の続きはいつもの赤提灯。今夜はアタシも飲みたい気分です。飲みたい時は飲むものです、なんちゃって。

 「什の掟、初めて聞きました。そう言えば、私も中国から来た時には、敬語には苦労しました。元々、中国でも目上の人を敬う思想はありましたから、それ自体に戸惑う事はありませんでしたが、謙譲語は困りました。先輩と同じように、そうなっているからそうだと言われて、必死に覚えましたよ」。

 確かに、欧陽春くんも苦労したでしょうナ。でも、立派に話せるようになったのですから、大したもんですヨ。

 続けて、「私が言うのも失礼かもしれませんが、多分、K課長の部下の方は、ピシャリと教えてもらっていないと思います。その方だけではなく、最近の若い日本人、お行儀が悪いですよ。電車で、お年寄りに席は譲りませんし、駅のホームに座ってものは食べるしこぼすし散らかすし、マナーは悪いですよ。一度、ちょっと注意したら、何がどうして悪いんだ、理由を言えって言われて、困りました。今日の先輩のお話を聞いていれば、ならぬことはならぬものって、中国語で言ったのに…」。

 ははは、中国語で言ったら、余計に分かりませんヤネ。でも、欧陽春くん、シャレが効いてますヨ。

 飲むほどに酔うほどに…、さて、そろそろお開きかと思いきや、またもやアスパラのトンチンカンですヨ。

 「ヒック、先輩、ところで、サンタクロースは、実在するのかしないのか、どうなんでしょうね。ならぬことはならぬ式に言えば…」そこでお局、すかさずこう言いました。

 「サンタさんはいる! いるときはいるのよ!」ですと。

 ちょっと早いですが ♪…ジングルベ~ル、ジングルベ~ル…♪ おやすみなさい。