東日本大震災は、人々に「平和や安定」が決して当たり前ではないことを強烈に知らしめた。首都圏は、東北地方に比べれば、はるかに小さな被害しか直接的には受けなかった。それでも、都心は帰宅難民で溢れかえり、翌日から食料品などの生活必需品が店の棚からなくなり、水道水からは放射性物質が検出され、自治体がミネラルウォーターを配布する騒ぎが起きた。一時的ではあったが、計画停電が実施され、交通信号の明かりまでが消えた。こうした出来事に直面した人々は、生活基盤の脆弱さをいやというほど味わい、そのことが多くの人々の価値観やライフスタイルに変化をもたらした。

 生活者だけでなく、企業にも大きな影響を与えた。新年度から予定していた「前向き」な取り組みを停止、延期している企業は少なくない。先が見えなくなり、動けなくなったということだろう。

 これまで様々な分野の「未来予測」を行ってきた立場からみても、確かに先行き、つまり「未来」は変わったのだと思う。だが、不鮮明になったとは思わない。今回の震災は、これまで描いてきた予測像をくつがえすものではないからである。ただし、時間軸やプロセスは変わった。様々な機会を経ながらいつかは露呈するだろうと思っていた問題は、期せずしていま眼前に姿を現してしまった。つまり、近い将来に来るべきものが、震災を契機として一気に押し寄せてきたのである。この結果として、未来はぐっと近くに引き寄せられたといえるだろう。

「冬の時代」を経て再び脚光を浴びる

 まず、いまだに収束できない原発事故の影響からみていきたい。昨今の報道をみれば明らかなように、この事故が原子力に関する日本の基本方針を大きく転換させることはほぼ間違いない。被災地では、次の選挙で「原子力反対」の立場をとる立候補者を当選させることになるだろう。東北以外の地区にもこの流れは広がっていく。日本の原子力発電所は「全面ストップ」に近い状態になる可能性が高い。

 日本の原子力ビジネスも、ブランドの失墜とともに厳しい状況が続く。原子力ビジネスの海外展開には、政府による支援が不可欠だ。しかし、政府の積極的な援助は当面考えにくく、日本のメーカーは極めて難しい状況におかれる。しかも原子力燃料は、世界の主流はウランからトリウムにシフトする可能性が高い。日本の原子力分野は「ウラン一色」であり、この点でも世界の趨勢から置き去りにされる。日本はこの分野の世界トップクラスから陥落し、米国やフランスなどが世界をリードしていくだろう。アジアでは、韓国や中国が、新興国市場を中心に急速に勢力を伸ばす。

 震災後の日本は、エネルギーの判断基準が「安全性」と「コスト」へと変わり、原子力発電に対する否定的な見方が強まっている。だが、エネルギー資源の不足、そして原子力発電が稼働停止することで電力供給が逼迫し、工場の国外流出が相次ぎ社会問題化するだろう。将来にわたってどのようにエネルギーを安定的に確保するか――「サスティナビリティ(持続可能性)」や「エネルギー安全保障」が最大の論点となる。そのような中で、原子力発電の「持続性の高さ」が改めて注目を集め、再び脚光を浴びると筆者は予測している。

 太陽光を含む再生可能エネルギーの利用は極めて重要だが、発電量が小さく天候に左右されやすい。だから現状では「補完的」なエネルギーでしかなく、基幹エネルギーにはなり得ない。しかし、系統電力の消費量を少しでも減らすために、太陽光発電+2次電池+スマートメーター+電気自動車をひとまとめにした「スマート・エコ住宅」が増えるだろう。これを基本ユニットとした「グリッド(網)」ができ、それらをつなぐかたちで、日本版「スマートグリッド」の形成が進む。

 今回の震災でハッキリしたのは、エネルギー供給に関しては、国が最終的な責任を取らなければならないということだ。電力の供給不足は、電力会社を責めれば済む話ではない。そもそも原子力発電は国策として推進されてきたことで、電力会社はその方針にしたがってきたに過ぎない。電力事業を一般企業が独占的に運営するのはもはや限界だ。将来、送電部分は「パブリック・ドメイン」というかたちで公有化され、従来の電力会社はスマートグリッドの「管理」を柱とするサービス会社へと業態変更していくだろう。そうなれば、発電の領域で様々な分野から新規参入が相次ぐことになる。