【対談】―― 島田順一 × 加藤幹之

いやー、当時の教授は豪傑でしたね

加藤 いろいろなことに挑戦する島田さんの好奇心が、いつ育まれたのか興味があります。どんな子供だったんですか。

島田 小さいころは、いろいろな局面で競争が激しかった。何でも迷ったら挑戦するという性格は、当時の生活環境が原点だと思います。

島田順一氏
しまだ・じゅんいち 外科医。京都府立医科大学大学院 医学研究科 呼吸器外科学 教授。外科学 呼吸器外科部門診療部長。1962年大阪生まれ。京都府立医科大学医学部卒業後、同大学院医学系研究科 外科学専攻課程修了。医学博士。大阪府済生会吹田病院 心臓血管呼吸器外科、京都府立与謝の海病院 外科技師、京都府立医科大学 助手、講師、准教授を経て2011年3月より現職。専門は外科学、呼吸器外科学、医用工学。
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加藤 でも、島田さんが生まれたころは、もうベビーブームは終わっていましたよね。

島田 大阪府堺市にある市立金岡中学校の出身なのですが、私が入学した当時、この学校は生徒数がすごかった。1学年は36クラスありましたから。

加藤 え? 1学年ですか。

島田 そうです。私は1年27組でした。当時の堺市は、新日本製鉄の製鉄所など臨海コンビナートの建設が盛んだった時期で、九州などから大量の人が引っ越してきました。学校は校舎の建設が追い付かず、プレハブを増築して何とか収容する状態だった。

 夏はものすごく暑くてね。休み時間ごとに水をかぶって授業を聞く感じでしたよ。体育のサッカーは、一つのグラウンドで色の違う三つのボールを使って、3試合を同時にこなしていました。大量の同級生がいる競争環境だったから、好奇心が旺盛にならざるを得なかったのかもしれません。

 そういう人間からすると、リスクを避けて通ろうと思うことの方が不思議なんです。もちろん、私もリスクが好きなわけではない。でも、外科医という仕事は常にリスクと背中合わせです。患者の身体を切る仕事ですから。だから、ベンチャー企業の経営にも挑戦できたのだと思いますね。

リスクが高いから物理を取らない

加藤 島田さんには、リスクを避けて通りたい人が日本で増えているように見えますか。

島田 社会全体がそういう雰囲気ではないでしょうか。先日、国立大学の工学系教授と医工学関連で話す機会があったのですが、かなり危機感を持っていました。「医工学」に興味を持つ学生がとても少ないと。

 「なぜですか」と聞いてみたんです。大きな理由は物理でした。物理に興味を持つ学生が減っているんです。工学部なのに高校で物理を履修していない学生が増えていると話していました。これは、実は医学部でも同じなんですよ。物理を選択せずに、生物・化学の組み合わせでも受験できるようになったからです。

 生物や化学に興味を持って学ぶのが悪いというわけではないですよ。問題は選ぶ理由です。物理は1問目の解答を間違えると「なだれ現象」で、その解答を使う続きの問題を誤解答してしまう可能性が高い。生物・化学に比べてハイリスクなのです。だから、大学受験を控えた高校生は最初から履修しようと思わない。いわゆる「サイエンス校」と呼ばれるような高校ですら、そうなっている現状があります。

 ある国立大学の医学部の先生に聞いたら、物理を選んで入学した学生は、その大学の医学部全体で6人しかいなかったそうです。物理を一度も学んだことのない学生が、卒業してからロボットなどに興味を持ちますか。恐らく、持たないでしょう。そういう学生が多くを占めるなか、「医療と工学を結び付けよう」とどんなに声高に叫んでも、医学部でも工学部でも響きませんよ。

加藤 島田さん自身は、どんな医学生だったんでしょう。

島田 大学2年生まではアルバイトばかりしていました。家庭教師です。あまりにも学校に行かなくなったものだから、京都の下宿を引き払って大阪の実家に帰ったほどです。そしたら、ますます学校に行かなくなって。アルバイトでためた資金で中型バイクを購入し、日本中を旅していました。