国際標準となる技術の多くは中国から生まれたものではない。中国は技術の輸入者として居続けていたわけだが、「中国製造」から「中国創造」へと変身しようとする中、「自主イノベーション」を国策の一つとして政府が主導となって強力に推進している。その中でも重視しているのは、独自に技術標準を確立することである。代表されるのは、第3世代携帯電話(3G)の国際標準の一つとしてよく知られているTD-SCDMAだ。移動通信のイノベーション戦略としては、日本でもPDCやWCDMAがあった。これと比較しながら、TD-SCDMAが生まれる経緯や現状、そして第4世代携帯電話(4G)に向けた新たな展開を紹介するとともに、政府主導のイノベーションの得失と今後の方向性を探る。

TD-SCDMAの誕生と現状

 TD-SCDMAは、中国の政府系通信技術研究機関と、米国で留学した中国人が創立したアメリカの通信技術ベンチャー企業とが提携することで誕生した。1998年6月30日、中国初の国際通信標準となることを目指し、十分に勝算がないものの、募集締め切りの最後の日にTD-SCDMAを3G標準として国際電気通信連合(ITU)へ提案したという。2000年5月、ITUの年会において三つの3G国際標準の一つとして採用された(他は欧州と日本が推進するWCDMAと、米国が推進するCDMA2000)。採用されたのは技術の上で特色があったからで、特にFDD(frequency division duplex:周波数分割複信)技術ではなくTDD(time division duplex:時分割複信)技術を採用するTD-SCDMAには周波数スペクトルの利用率に優位性があった。一方で、最も肝心だったのは中国政府からの強力な支持だったともいわれている。また、通信技術の最先端で走っている大国からしてみれば、TD-SCDMAには何の脅威も感じていなかったのかもしれない。

 確かに標準になったといっても、自然に技術力が付いたり、商用化ができたりするわけではない。技術が進歩するためには、技術自身が商品の形で消費者に受け入れられ、さらに改善される。また、技術は市場に受けいれられてこそ、技術の研究開発が継続できる収入を得ることになる。TD-SCDMAは、技術の有効性を実証するためにも、商用できる通信システムを構築するためにも、試験網による大量のテストが欠かせず、応用される機会が必要だった。既に実験テストを始めていたWCDMAとCDMA2000と比較して、TD-SCDMAには残された時間がとても短かった。そこで、中国政府の出番である。

 政府からの膨大な資金支援、TD-SCDMA推進産業連盟を立ち上げるための強力な支援、周波数割当、3D商用サービスのライセンス発行タイミングの調整など、多くの政策支援が実施された。TD-SCDMAに商用の見通しがたった後、2009年1月、3G商用ライセンスの許可が発表された。中国最大手の移動通信業者である中国モバイル社が、TD-SCDMAを採用した。他の移動通信業者2社はそれぞれWCDMA(中国Unicom)とCDMA2000(中国Telecom)を採用することになった。2000年ITUにより承認された三つの3G国際標準のすべてが同時に、中国で採用されたのだ。

 それから2年後、中国の工業情報化省から公表されたデータによると、今年の5月までに3Gのユーザーが全体で6700万(2Gと3Gの全体は9億)、TD-SCDMAはその中の3000万を占め、3G全体の44%を占めている。端末メーカーは中国限定使用のTD-SCDMAより、WCDMAとCDMA200に力を入れており、TD-SCDMAに対応した携帯電話端末の種類は比較的に少ない。また、TD-SCDMAの通信端末にはインターネットアクセス用のデータカードが少なくない。多くの量販店ではTD-SCDMAの携帯電話端末が販売されておらず、販売しているのは主に中国モバイル社系の販売店が中心だ。

中国モバイル社の携帯端末情報サイトにおけるTD-SCDMAの携帯電話端末の紹介画面。右上に中国モバイル社の3G端末のサブブランドとなるG3の説明がされており、右の真ん中でTD-SCDMAに関する説明がされている。右下ではG3シリーズ端末の人気ランキングが紹介されており、現在のトップ3は、中興(ZTE)、諾基亜(ノキア)、三星 (サムソン)となっている。

 TD-SCDMA技術の標準化が提案され、そして商用テストと正式サービス開始に向けたエコシステムの構築が行われた結果、通信技術と国際標準化人材の育成、通信技術の研究と開発、通信設備関連企業の開発と製造力の育成と蓄積ができ、中国の通信産業は大きく成長したと言える。一方、それは中国国内だけの利用であり、海外市場はWCDMAとCDMA2000が標準であるため、TD-SCDMAの技術をもって海外の3G市場に参入するのは極めて難しい。

 このような状況は、実は第2世代携帯電話(2G)時代に日本標準であったPDC(Personal Digital Cellular)と非常に似ている。80年代、日本も同様な国家戦略で、官民を挙げて日本独自のPDCという移動体通式標準を強力に推進していた。PDCはNTTドコモ、当時のJ-Phoneグループなどが採用していたが、日本固有の標準だったため、日本国内では使用できるが、海外では使用できない。

 日本のモバイル産業を育成するという目的は達成できたが、世界からは孤立し、その結果、日本の通信設備メーカーと携帯電話メーカーは海外市場の開拓に苦労した。かえって、通信産業発展の障害になったと言われるほどだ。このような局面をどう打開するのか、中国も当時の日本と同じような問題に直面している。

TD-SCDMAの今後