北野研究リーダーは「上田泰己氏も優れた研究メンバーだった」という。97年当時はソニーCSLのリサーチアシスタントだった上田氏は、98年から2000年まで学生研究員としてプロジェクトに加わった。その後、山之内製薬に移籍し、さらに理化学研究所に移籍している。現在は理研の発生・再生科学総合研究センター(CDB)システムバイオロジー研究チームチームリーダーを務め、システムバイオロジーを一層発展させるキーマンになっている。

 上田氏は北野研究リーダーが東京大学でシステムバイオロジーについて講義した時に大いに興味を示した学生だった。その後、ソニーCSLのリサーチアシスタントを経て、プロジェクトに加わった。「興味があるからと自分から近づいてきて、プロジェクトで研究能力を磨き、スピンアウトしていった典型的な研究者」という。北野研究リーダーには天才・異才を引きつける魅力があった証拠でもある。

 北野研究リーダーは「プロジェクト推進中の研究成果評価では、適時かなり激しい議論をした」という。新しい学術領域を開拓し、事業展開につなげるには「徹底した熱い議論が不可欠」という。この点は、ソニーCSLの取締役・所長として「ソニーCSLの研究者に対しても同じ姿勢」という。国際的な研究成果評価を、英語による議論で実践している。

ロボット事業を展開するベンチャー企業が誕生

 北野共生システムプロジェクトはERATOの期間が終了した後に、2003年度から2008年度まで発展研究として「ERATO-SORSTプロジェクト」が実施され、システムバイオロジーをさらに深く追究した。

 2004年にまとめられた北野共生プロジェクトの「事後評価報告書」によると、「北野共生システムプロジェクトの特徴の一つは、スピンオフ組織が多いこと」と解説する。「会社を2つ、研究所を3つ設立され、さらに科学技術振興機構の研究プロジェクトを1件発足させている」とまとめている。こうした成果評価はかなり珍しいことである。

 例えば、ヒューマノイド型ロボット「PINO」の研究成果を基に、2001年1月にベンチャー企業のゼットエムピー(ZMP INC、東京都文京区)が設立された。企業や大学・研究機関向けに研究用・教育用ロボットを開発・販売する事業を展開するために創業されたものである。創業者はプロジェクトチームの直接メンバーでなかったことも特徴の一つである。

 北野研究リーダー自身も2001年4月にNPO(非営利法人)システム・バイオロジー研究機構(SBI.東京都港区)を創設し、会長に就任している。同NPOを設立した背景の一つは「各行政府が提供する競争的研究資金を獲得する」ためである。実際に、北野共生システムプロジェクトの期間中に研究開発資金の約5%を、「ERATO-SORSTプロジェクト」期間中は同30%を獲得している。さらに、企業などから契約によって研究開発資金を獲得する受け皿にも活用し始めている。こうした発想は、従来の大学や公的研究機関に所属する研究リーダーではあまり浮かばないだろう。

 北野所長は現在、システムバイオロジーの事業化を強力に進めており、「2013年度には事業を展開する事業会社を創業させたい」と計画している。単なる研究開発ではなく、社会に貢献する事業展開が目標になっているからだ。

(注2)ソニーコンピューターサイエンス研究所の独創的な研究姿勢などは、単行本「天才・異才が飛び出すソニーの不思議な研究所」(所真理雄・由利伸子著、日経BP発行)を参照。