ERATOは簡単にいえば、傑出した研究者と判断される日本人研究者に「5年間に約15億円を上限とする研究開発費を提供し、大学などの既存の研究機関からは独立した研究開発拠点で研究プロジェクトを推進させる」制度である。大学などの教員の研究者にとっては、5年間にわたって毎年、研究開発費が約3億円提供される“夢のような研究開発支援制度”である。

 大学や公的研究機関の研究者は毎年度ごとに、各行政府(例えば文科省や経済産業省、総務省、農林水産省など)のさまざまな研究開発支援制度に研究計画書を提出し、審査を受けて研究開発費を獲得する。多くの研究開発費は1年間当たり数100万円から1000万円程度である。各研究者は毎年度に必ず選ばれる保証はないため、長期的な研究計画が立てられない悩みを抱えてる。長期間にわたる研究資金の保証がないからだ。これに対して、ERATOの研究総括責任者に選ばれると、こうした悩みが一気に解消し、研究プロジェクトに必要な研究員をそろえることができるなど、研究開発の“ドリームチーム”をつくることができる。

 「ERATOでは、将来のイノベーション創出を可能にするだろう独創的な探索型基礎研究を担える人物を、日本の戦略目標を達成できる研究者として選び出している」(北澤宏一理事長)。科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業の担当者は、学会発表などを丹念に調査し、豊富な人脈を通して候補者の研究者としての資質を調査するなどのやり方で、ERATOの研究リーダー候補者を探索している。

 北野所長に面会しに来た2人は、ERATOの研究リーダー候補者の一人として北野氏の研究者としての資質を見極めに来たのだった。2010年度時点で、ERATOの研究プロジェクトは合計104チームがつくられ、当然、研究リーダーには104人が選ばれている。毎年度ごとに4~5人がERATOの研究リーダーに選ばれている。日本全体の研究者総数からみれば、ERATOの研究リーダーに選ばれることは、かなりの幸運な人物といえる。しかも、公募制ではないため、選ばれるだけの実力を持たなければならない。

 北野氏を訪ねてきた担当者2人は、最初は人工知能の研究成果を聞いていたが、北野所長が当時始めていたシステムバイオロジーの研究成果を説明すると、そのシステムバイオロジーに関心が移った。北野氏が進めていたシステムバイオロジーの研究方針や研究成果の説明を聞いて、2人は帰っていった。

 その後、科学技術振興機構のERATO担当者と数回議論を重ね、半年後に「1998年度のERATOの研究リーダーに採用したい」と伝えてきた。そして「すぐに研究計画書を出してほしい」と伝えた。これが1998年度から始まった「北野共生システム」プロジェクトの始まりだった。「複雑な生命現象を各要素の共生系として捉えて、その理解方法の探索を目指した」ERATOプロジェクトである。98年度から始まった4つのERATOプロジェクトでも、企業人が研究リーダーを務めたのは「北野共生システム」プロジェクトだけである。

北野共生システムプロジェクトは異才を多数、輩出

 北野宏明所長は国際基督教大学で物理を学んだ後に、1984年4月にNEC(日本電気)に入社し、ソフトウエア生産技術研究所に配属された。NECに就職したのは「一度は企業を体験してみたかったから」という。数年後に社内留学制度によって、米カーネギーメロン大学機械翻訳研究所に入り、人工知能分野の音声認識などを研究した。すべての時間を研究開発に費やせる日々を送ることができ、論文を多数書き、学会などで研究成果を発表するなど、満足感あふれる日々を過ごしていた。

 その後、NEC社内の組織に戻り、日本と米国を行き来しながら研究開発を続けた。「そろそろ研究開発に専念する場を変えたい」と考え始めた時に、ソニーCSLなどの複数の機関から「うちに来ないか」というオファーがあり、結果として1993年8月にソニーCSLに移籍した。