【対談】 ―― 篠田傳×加藤幹之

PDPや液晶よりもすごいです

加藤 PTA技術の開発を始めたのは、いつ頃ですか。

篠田 1995年に富士通の川崎事業所に転勤になって、2年後に明石の研究所に戻ったころのことです。既にPDPのカラー化は研究所の手を離れていましたから、何か新しいことをやろうと思っていました。

篠田傳氏。篠田プラズマ 代表取締役 会長兼社長。1948年山口県生まれ。73年広島大学大学院 工学研究科 修士課程修了後、富士通入社。83年にカラーPDPの基本構造と駆動法を発明し、92年に世界初の21型フルカラーPDPを開発。2001年に富士通研究所フェロー。05年に篠田プラズマを設立し、07年に富士通研究所を退職。08年から現職
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 学会活動で研究者仲間に会うと「篠田さん、あなたはPDPの開発を成し遂げたんだから、これからは後進の育成をお願いします」と言われる。そういういものかなと、業界団体の仕事などもしたんですが、技術開発の方が面白いんですよね。やはり。

 新しいテーマを研究したいと思って、興味を持ったのが臨場感です。人間は様々なことを経験で判断しているから、いつも目にしている風景をそのままの大きさで表示できたら、その場に行った気になるだろうと。42型のPDPが完成する前は、それくらい大きければ臨場感があると思っていたんですが、完成したら意外に小さいんですよ。等身大には程遠かった。

 でも、PDPをそのまま大きくしたら、壁がヒーターになってしまいます。しかも、重い。製造には、大きな投資が必要になります。

 そう考えたときに、プラズマ技術を使って別の表示素子を作ればいいと思ったんです。「そうか、ものすごく細い蛍光灯を作ればいいのか」とアイデアが浮かんだ。直径1mmの蛍光管があれば、うまくいきそうだと思いました。

もしかしたら、PDPよりも上だぞ

篠田 それで細いガラス管を探したんですが、1mm径のガラス管なんて世の中に存在していなかった。液晶パネルのバックライトに使うガラス管でも、直径が3mm程度なので。日本中を探し回って、作ってくれるところを見つけた。1本だけ試作して、光らせてみたら想像以上に優れた特性が出た。「もしかしたら、PDPよりも上だぞ」と確信して、研究開発を本格的にスタートしました。2000年頃だと思います。

加藤 独立しようと思ったのはなぜですか。

篠田 他のディスプレイに比べると、小さい投資で製造できると当初から思っていました。だから、もともとベンチャー企業に合った事業だと考えていたんです。そのときに、富士通がディスプレイ事業からの撤退を決断しました。

 加えて、PDPの開発の軌跡をマスコミが取り上げるようになって、いろいろなところでの講演の依頼が増えていたんですね。講演では、講師として、すごくかっこいいことを話していたわけですよ。高校生に向かって「あきらめずにやれば、未来は開ける」とかね。そんな偉そうなことを言っている「自分があきらめたら、あかんよな」と思いました(笑)。

 「この歳になってもやれるんだ」ということを若い人に見せたいという気持ちはあります。「失敗しても誰も命までは取らない。だからあきらめるな」と、みんなの前で話せるようになるには、自分で成功してみせなければならないと思うんです。