その時に興味を持ったキーワードは「臨場感」である。当初は「PDPを大型化すれば…」と思っていたが、開発されつつあった42型のPDPを見ると、思ったよりも小さい。しかも、消費電力が大きく、重かった。

超臨場感を実現したい
篠田プラズマ 代表取締役会長兼社長の篠田 傳氏
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 ディスプレイの前にいる人を包み込むような臨場感のあるサイズを実現するには、新しい方向性が必要だと感じた。「どうせやるなら、等身大の人間を表示できるような超臨場感を実現したい」。篠田氏はそう思った。

 ただ、重くてはダメ。壁がヒーターになるような高い消費電力でもダメ。加えて、巨額の投資が必要でもダメ。そう思った篠田氏は、「軽量」「大画面」「省電力」のディスプレイの構想を練り始めた。

 この構想が、PTA技術の開発につながる。ただ、極めて細いガラス管を並べるという発想は思い付いたものの、直径が1mmを切るようなガラス管を見つけるのは至難の業だった。日本中を探し回り、やっと極細のガラス管を製造してくれる職人に出会う。ガラス管を1本だけ試作してもらい、電極を取り付けて光らせるとかなり有望な基礎特性が得られた。これをキッカケに2000年頃にPTA技術の研究開発が本格化した。

 篠田氏は、この技術で自ら企業を立ち上げた理由を「会社がディスプレイ事業から撤退したことも一つのキッカケではあるけれど、もともとベンチャー企業に向いている技術だと考えていた」と話す。

 PTA技術は、基本となる構造物が極細のガラス管であるため、埃に対してそれほどセンシティブではない。製造過程でPDPや液晶パネルのような巨大で高性能なクリーンルームを必要としないため、他のディスプレイに比べて圧倒的に製造投資が軽くて済むという。実際、篠田プラズマは、1000m2ほどの広さの工場に数億円を投資することで製造を開始している。

お父さんがやりたいことを

 篠田プラズマの設立は、篠田氏が富士通研究所のフェローとして活動していた2005年6月である。当初は、同氏の夫人である洋子氏が社長を務めていた。2年後の2007年4月に篠田氏は富士通を退社して社長業を引き継ぎ、PTA技術の開発と事業化に専念することになった。

 富士通の研究所でPTA技術の研究開発に携わっていた10人ほどの研究員も、篠田氏と一緒に篠田プラズマに移籍した。「彼らも、PTA技術がベンチャー企業に向いていると感じていたようです」と篠田氏は振り返る。

 富士通の研究者として安定した生活を約束された人々が新規企業に移籍するのは、よほど技術に惚れ込んでいたということだろう。

 「研究所の若手に『独立しようと思うけどどうする?』と聞いたら、みんなが『ベンチャー企業で挑戦してみたい』と言ってくれた。ただ、起業したら大変なことが多いから、きちんと家族と相談してくれと話した」という。

 「『お父さんがやりたいようにしてください』とほとんどの家族が言ってくれたそうです。率先して周囲を説得してくれた奥さんもいたみたいですよ」

 篠田プラズマでは、今でも洋子夫人が専務を務めている。これは決して「社長夫人だから」という理由ではないようだ。実は、専務は教師として教育現場で長年働き、小学校で校長を勤め上げた人物である。

 「身内ではありますが、彼女のマネジメント能力には脱帽します。校長をやっていたからか、人脈も広く、交渉などの能力に長けている。公私共にいいパートナーです」と篠田氏は評した。

 研究者の仲間と、人生のパートナーに支えられた57歳の独立だった。