篠田 技術者として新しい技術の開発に挑む姿勢は大切で「とにかくやってみろ」というマインドで取り組むべきです。ただ、一方で「やってはいけないこと」もある。それを考え直す機会になるのではないでしょうか。

 それでも、神戸があの悲惨な状態から復活したという思いを強くもっています。被災地も必ず復興できると信じています。

加藤 私も高校時代を神戸で過ごしましたが、復興を願ってやみません。話は変わりますが、少年時代はどんな子供だったんですか。

[画像のクリックで拡大表示]

篠田 平凡でおとなしい子でしたね。兄弟は4人で上の二人は姉。3番目の長男なんです。山口県の田舎で育ったので、野球をやったり、釣りをしたりして過ごした。でも、その体験が技術者としての基本を教えてくれたと思っています。

 自分で竿を作って、えさを掘り、準備を整える。浮きを観察して、タイミングよく魚を釣り上げるとうれしい。技術開発も一緒でしょう? 開発過程のほとんどは準備段階。きちんと準備をすることで、優れた実験の結果が出てくる。この「準備」「作業」「成功の喜び」という技術開発の過程一式が遊びに含まれていた。

 これは、誰かに教えてもらえるわけではない。釣りも、ほかの人がやっているのを横目で見て、自分なりに工夫するわけです。その意味で、釣りはまさに科学そのものですよ。だから、子供は外で遊ばせたほうがいい。

「とにかくやってみろ」が失われている

加藤 なるほど。誰かに与えられたものでは身に付かず、自分で工夫して準備をすることが大切ということですね。PDPのカラー化では上司に隠れて技術開発したと聞きますが、本当ですか。

篠田 そうです。当時は、PDPはカラー化できないというのが業界では定説でしたから。モノクロ・パネルの基礎開発を終えた後に、無機ELを研究するように言われていました。

 でも、過去の研究を調べたているときに、カラー化のアイデアとなるヒントを見つけた。それで、会社の仲間に頼んで勝手に試作してもらったんです。試作品は、赤青緑の3原色がすごくきれいに光ってね。それを上司に見せたら、カラー化の研究のゴーサインが出たんです。

加藤 1980年代頃までは、「ダメでもいいからやってみろ」と研究者を鼓舞する文化が日本企業にあったように思います。でも、最近はすぐに実用化できるテーマを追い掛ける風潮がありますね。

篠田 確かに富士通の開発現場には「ともかくやってみろ」「夢を形に」という素晴らしい言葉がありました。

 当時は、研究者の自由な活動を許容する環境があった。私だけではなく、いろいろな人たちが隠れて勝手な研究をしていましたし、社内でそういう秘密テーマについても議論ができた。工場は人手で動かす余地が大きかったので、勝手に空いている生産ラインを借りて試作してみるようなことも可能でした。

 でも、今はすべてをコンピュータ制御しているから、変な試作品を投入しようと思っても簡単ではありません。効率化を進めた結果、社会システムがガチガチになってしまっているので、もっと緩い部分を作る必要があるのかもしれませんね。

加藤 当時だって、カラーの試作品を作るのには、資金が必要ですよね。