【対談】 ―― 杉山兄弟 × 加藤幹之
どうせなら、自分で企画した方が面白い
加藤 なぜ、動画編集ソフトウエアだったんですか。
竜太郎 学生時代に兄弟で一緒に映画を撮ったりしていたんです。渋谷の近くに弟と一緒に住んでいたので。
加藤 竜太郎さんは、日本大学の芸術学部のご卒業でしたね。
竜太郎 そうです。映画関連の学科でした。アニメやコンピュータ・グラフィックス(CG)を専攻していました。ただ,CGを作ったり,映像を作ったりするのは、学生には高嶺の花だったんです。動画編集ソフトウエアはすごく高価なので。
でも、卒業制作で映画を作ることになって、二人で借りていたアパートをスタジオにしようと盛り上がりまして。リビングをサロンにして、ひと部屋を編集作業用に模様替えしました。結局、仲間が集まって酒を飲んでいただけでしたけど(笑)。
ハードコア・パンクのバンドを…
浩二 兄とは、高校生のころからバンドも一緒にやってました。
加藤 バンド?
竜太郎 ハードコア・パンクのバンドです。「ミクスチャー」とか「クロスオーバー」といって、ヒップホップやパンクが混じったような感じの。僕がボーカルで、弟はボーカル兼ギター。5、6人の仲間で原宿の歩行者天国で路上ライブをやったりしました。
加藤 当時の写真は、残っていないんですか。
竜太郎 あまり世の中に出てほしくないですね(笑)。すごい格好ですから。
浩二 うん。あれはまずい(笑)。
加藤 卒業制作の映画は何を?
竜太郎 祭りの映画です。「日常生活をお祭りの中で変換して、新たな日常に向かっていく」というような実写とCGを組み合わせた映画でした。
浩二 映画をつくるのは大変なんだと思いました。全体を設計するのが難しい。スピルバーグとかはすごいと思いました。
加藤 弟さんと一緒に製作したんですね。
竜太郎 自宅をスタジオに改造したので、パソコンを買って動画の編集作業ができるようにしました。
浩二 中学生のころからためていた小遣いをはたいて、40万円くらいのシステムをそろえたんです。映画も作りましたけれど、ネット・ゲームにはまって、二人で夜中にテレホーダイを使ってゲームをしてました。
加藤 映画は、卒業制作で終わったんですか?
竜太郎 大学では映画だけではなく、VJ(ビジュアル・ジョッキー)にはまっていたんです。そのための映像制作は続けていました。ただ、最初の会社は半年くらいで辞めて、3カ月くらいインドに行きました。若いころにはよくある話です。