(前回の「なぜ、弟が社長なの?」から読む方はこちら

 物ごころが付いたころから、私はテレビの虫だった。三重県の津市という地方都市で生まれ、都会の文化には程遠かった少年時代。それでも、自宅では大阪と名古屋のテレビ局を両方受信でき、大阪の吉本新喜劇も尾張名古屋の文化も手に取るように身近に感じた。

教育向けにも進出
ロイロの教育機関向け動画編集ソフトウェア「ロイロエデュケーション」。NHKエデュケーショナルが監修した。児童・生徒が自分なりに発想し、表現する力を直感的に学ぶことを念頭に開発した。
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 当時は、米国のテレビ番組の輸入も多く、テレビに映し出される異国への憧れもこの頃に作られたように思う。結局、社会人になってから17年半を米国で過ごし、アフリカやアジア、中南米など多くの知らなかった世界に触れる体験をさせてもらった。未知の世界を見ることは、未知の技術に触れることに似ている。大きな発見があるという共通項があるからだ。

 動画編集ソフトを開発するベンチャー企業のロイロを創業した、杉山竜太郎氏、浩二氏の兄弟も未知の発見を求めて二人三脚で歩んできた。ただ、その歩む方向は少しずつ違っており、微妙に離れたり、近づいたりを繰り返しながら、二人は起業という帰結に向かって歩を進めた。

 二人が初めてIT(情報技術)に触れたのは、兄の竜太郎氏が小学6年生の頃。杉山家にパソコンが到来した。兄はパソコン・ゲームで遊ぶのが専門だったようだが、将来の技術担当である弟は自分でプログラムを書いてみようと思い立った。ゲーム・ソフトは高価で簡単には手が出なかったからである。

「動の兄、静の弟」、180度違う二人

 だが、BASICの勉強をしてみたものの、当時は小中学生に分かるような入門書もあまりなく、ゲーム・ソフトは多くがマシン語で記述される職人技の世界。とても素人が踏み込めるものではなかった。音楽付きのオープニング・シーンまでは作成したが、そこで挫折した。

 二人は、選んだ大学もだいぶ毛色が違う。弟はコンピュータに興味を持ち工学系の大学に、兄は映画に魅かれ芸術系の学部を選んだ。

 行動派の兄には放浪癖がある。大学時代に飲食店やビルの清掃、街頭でのティッシュ配りなど、さまざまなバイトをしては旅行資金をため、バックパッカーとしてトルコやインドなどを回った。その間、弟は実家のある静岡に帰省したときに、有料道路の料金所でバイトをする程度。「全く自動車が通らなくて、ヒマなバイトは逆につらいんだと分かった」らしい。パソコンは自作しても、旅には興味がなかったようだ。

 ただ、互いに「性格が180度違う」と話す二人には共通の趣味があった。音楽である。これが、後に起業への道につながった。

 音楽好きの二人は、高校時代に仲間とバンド活動を始めた。「ピップホップとパンクが混じったようなバンドでした」と竜太郎氏は説明する。兄はボーカル、弟はボーカル兼ギターで、東京・原宿の歩行者天国でもライブをしていたらしい。

 大学に入り、バンド活動が終息すると、兄弟はVJ(ビジュアル・ジョッキー)にはまり始める。若者が集まるクラブやイベント会場などで音楽と映像を即興で組み合わせる、DJ(ディスク・ジョッキー)の映像版である。

 学生時代に二人が共同で生活していた東京・渋谷のアパートは、映像編集スタジオと化した。小さいころからためていたお小遣いをはたいて、パソコンを購入。杉山家のリビングは多くの仲間の集まるサロンに、一部屋は映像編集の作業場に変貌する。