入ってすぐに辞めようと思った産総研だが,研究者としての仕事は充実していた。研究自体は大きなテーマを扱うことが多く,「辞めてやる」という気持ちが薄れるほどでもあったようだ。

 それほどまでに面白い,爆発研究の分野に足を踏み入れたのはなぜか。ある会合で独立した吉田氏と顔を合わせた際に,社名にある「爆発」の文字を見て「なぜ爆発なんですか」と聞いたことがある。

 「大学で工学部の3年生になる時に専攻を選ぶ必要があったんです。その際に,火薬の研究をしている反応化学科の疋田勉教授の勧誘の言葉が印象的で」
 「どんな言葉ですか」
 「『爆発の研究者は世界的にも人数が少ない』と。そこにひかれました」

 学部生時代の吉田氏は,どうやら模範的な学生ではなかったようである。大学の講義は,面白くなかった。教授が板書をし,それをただノートに書き取るだけ。いわゆるマスプロ教育に科学技術研究のダイナミズムを感じられず,1年生を3回やったという。だが,「他人がやらないことを研究できる」という疋田教授の言葉で人生が変わった。

少年時代のいたずらで,畳に大きな穴

 もちろん,素養はあった。中学・高校では,化学や天文,物理などのクラブ活動に精を出す,科学技術が大好きな少年だった。

 「爆発にも興味があったんでしょう」と聞くと,吉田氏は少し恥ずかしそうにこう話した。

 「実は,中学・高校では火薬を調合して,いたずらをしていました。友人の家で誤って爆発してしまって,畳に大きな穴を開けたこともあります」

 現代の少年たちにはうらやましいであろう,大らかな時代の体験で,かなり早い時期から爆発の魅力は感じていた。しかも,その研究が世界的にも手掛ける人の少ないユニークな分野と知った。少年時代のいたずら体験と疋田教授の言葉が結合し,「これだ!」と飛び付いた吉田青年が勇躍する様は想像に難くない。

 それから30年以上,吉田氏は爆発という現象を研究し続けてきた。爆発研究所は,その経験とノウハウが詰まった企業である。

 爆発研究所の主な事業は,二つある。まず,爆発に関する各種の調査や研究などのサービス受託とコンサルティング。そして,爆発をシミュレーションする並列計算ソフトウエアの開発や販売である。起業から5年。売り上げは順調に増え,黒字化も達成した。

 話を聞き進めた私は,前者の事業はもちろんのこと,後者の事業の背景にも長年にわたる吉田氏の研究者としての背骨が横たわっていることを知ることになる。

(次のページは吉田氏に聞く「爆発研究の道に入った理由」)