狭い道は追い越されない
「次郎さん、相談があるんだ。今度開発する計測器なんだが、販売数量の見込める方を選ぶか、それとも、数量は出ないが、他では出来ない技術の優位性で付加価値を付けて行くか、どっちにしようか悩んでいるんだ」。う〜ん、そりゃあ確かに悩みますワナ。数が出れば、それだけの量産効果も見込めるてェもんですヨ。しかし、数は出なくても付加価値があれば、それだけ儲かるてェこと。さすがの部長も、そう簡単には決まりません。
「数が見込める方は、少し頑張れば他社も同じような製品をつくることが出来るのでそのうち競争になると思うんだ。今のところはウチが優勢、でも一年、いや数カ月で追いつかれるかもしれないんだヨ。それに対して、数が少ない方、それは数年は大丈夫だと確信しているのサ。目先の数か、寿命の長い製品、しかも、付加価値を選ぶのか。ナァ、次郎さんだったらどっちに行く?」。本当に、難しい選択ですよ、これは。もう少し情報が欲しいですナ。
「で、短期勝負をするとして、こっちだって引き続き技術開発をするんだろう? だったら、数カ月や一年なんて悲観的に考えることもないだろうヨ。競馬じゃないが、先行逃げ切りてェ事もあるんじゃないか?」。
「それはあるかもしれない、でも、マーケット規模がどんどん拡大しているのが他社にも分かるんだから、参入しようと必死になって頑張るに違いない、そう思うんだ。しかも昔と違って、今は情報化社会、少し調べれば技術もノウハウも丸裸。グーグルで検索したら、それでOKサ」。
はは、グーグルで検索したら分かってしまうなんて、お粗末な話かもしれませんが、これは本質ですヨ。いま時、何でもかんでも検索できる時代ですから、既存の技術なら、少なくとも糸口は見つかってしまうのですナ。その糸口から、肝心要の技術や情報にたどりつく時代、検索システムてェのは、重宝に使う立場と、その逆の、追われる者にとっては困ったもんですヨ。
「じゃあ、数は出ないが付加価値があるてェ方はどうなのサ」。
「こっちには自信があるんだ。かなり前からやっていた基礎研究があるし、その上で、ウチにしかできない技術があるんだ。断言はできないが、今でも同じような技術は他社に無いのは分かっている。だから、相当頑張っても直ぐには追いつかれないし、この分野の技術開発はウチの十八番(おはこ)。安心しちゃあいけねえが、これからも開発を進めてさらに進化するし、いや、そうするしかないと覚悟は決めているんだヨ」。部長、久しぶりにキリッとした眼差しですヨ。
「でもナァ、それにしても、正直、どちらにしていいか、迷っているんだ。だってそうだろう、数が出れば、いくらそのうちに追いつかれると言っても、ある程度の期間は優位に立てるのだから、その分の利益は確保できるじゃないか。でも、少ない方は、確かに期間的にも利益という面でも、ずっと優位に立てるサ。しかし、マーケットが拡大しないのだから、面白くないというか、つまらないというか、何か損をするような気持ちになっちまうんだ」。
分かりますヨ、その気持ち。開発なんざァ、やはり前広(まえびろ)、先に行くに従って拡がって行く方がいい、アタシ達、それがいいに決まっているのですが…、「そうだよナァ、競争になるのが分かっていても、将来、拡大して行く市場で頑張るか、それとも、拡大はしないが、しっかりと地道に歩んで行くか、まさに、その選択をしなくちゃいけねえのかもしれないナァ」。こうして話していると、アタシも悩んでしまいますヨ。
「ねェねェ、今夜も行くの? 例の赤提灯。仕方ないわねェ、付き合ってあげるか!」って、お局、いつの間にやら横にいました。赤提灯は暗くなってからですヨ。
「そうねえ、それは悩みどころネ。数を追うか、付加価値を得るか、そのせめぎ合いなのネ。確かに、ムズ〜」。「おいおい、ムズ〜って何だ? アタシ達に分かる言葉で言っておくれよ」。思わず部長がクレームです。
「そんなことより大事なのは、本当にマーケットが拡大するのか、その方が心配だわ。二人の話を聞いてると、マーケットが拡大するのが前提でしょう? アタシ、そこが不安なのよ。拡大するって、誰が言ったの? もしも誰かが言ったとして、その保障をしたのかしら。保証をしたとしても、アタシは信じないわ。だって、これだけ先が読めない時代にそんな保証はアリエンティ!」。またまた、出ましたヨ、お局ことば。
「そうだナァ、そうかもしれねえ。俺たちはマーケットが拡大する、そう思い込んでいるかもしれないぜェ、次郎さん。言われて気が付いたんだが、俺たちのように、拡大すると信じている、或は思い込んでいる者たちは、みんな同じ意識、言い換えれば、それが共通認識なのサ。過去から将来へと移り行くマーケットの姿を、この業界に居る者たちは、その経験からみんな同じように考えている、そういう訳よ」。
おっと、部長の分析力、久しぶりに鋭い切れ味です。続けて「今、気付いたんだが、同じ業界にいる者同士なんざァ、結局は、同じことしか考えないよナァ。普段、競争ばかりしているが、結局、その競争も、言ってみれば同じ種目じゃねえか。同じ競技場に集まって、同じ種目にエントリーしているようなものサ。そうして、これもたいして違わない技量で戦っている、そんなことじゃないのかナァ。だから、次には誰が、どのくらいチカラを付けて出て来て、その結果はどうなるのか、それが分かってしまうのサ。一番は誰、二番は誰、その次は誰、そして、将来はきっとアイツだろう、そこまで分かっているって訳よ。だろう?」。部長、どうやら悟りの境地になっているようですゾ。
「そうよ、部長の言う通り。同じ種目で、しかも、たいして技量も違わない者同士が競争しても、そこに大差はつかないって訳ね。だから、出場する種目を変えるとか、それよりも、一番いいのは相手がいないレースに出ることね。だってそうでしょう、出場選手が自分一人なら、一番は確実。誰にも負けないし、第一、一人しかいないのだから、自分のペースで走ればいいじゃない!」。
お局の意外な提案、アタシ達、目がテンになってしまいました。「ひ、一人しか出場しないなら、競争にならないじゃないか」。
部長が言うと、お局、待ってましたとばかりに、「でしょう、だから、競争がイヤならば、そうすればいいってことなのよ。もっと言えば、大きな競技場だって要らないわよ。ましてや、観客席だって要らないでしょ、お客様が少ない、或は、関係の無いお客様は来ないのだから。ねえ、こう考えればいいと思うの。事業というものを、例えば陸上コースのレーンを一周することだとすれば、競争する相手が居ても居なくても、ちゃんと一周すれば、それが成功というものでしょ。だから、そもそも競技場も要らないし、スタートラインと、進むべきコースラインが一つあれば、それでいいのよね。そこに自分だけが立って走り出せば、それで一番は確定じゃない。あとは自分のペースで、それこそムリなく走って完走すればそれでお終い。そうそう、走らなくたっていいのよ、歩いても負けないのだから。そして、お客様には、出来るだけ近いところで見てもらうのよ。もっと言えば、一緒に歩くのがいいと思うの」。
まさに、目からウロコとはこのことですヨ。確かに、競争とは相手が居るから競争なので、その相手が居ないなら、競争にはなりませんヤネ。しかも、お客様との距離、これだけ近ければ、絶対に離れることはありませんワナ。
「いやぁ、参ったナァ。一人で一周すればいいなんて、考えたことも無かったヨ。確かに、一つのコースに選手が一人、そりゃあ、勝つに決まっている。しかも、自分のペースで回ればいいなんて、傑作、いや、こんな痛快な話、きいた事ァないぜェ!」。
部長のアタシも、今までの垢(あか)というかシガラミというか、業界にどっぷりと漬かって、気付かないままに身に付いた、固い殻(カラ)が取れたようですヨ。
「次郎さん、決めた! 今度の開発、数は少ないが絶対に負けない方でやるよ。しっかりとやるぜェ!」。勿論、アタシも賛成、大賛成ですワナ。
そんな訳で赤提灯、当然、今夜はおごらなくちゃいけませんヤネ。
「どうだ、参ったかァ! ふふふ、冗談よォ。でもよかったわ、次郎さんも部長も分かってっくれて。大体、オトコって、直ぐに競争したがるのよね。しかも、勝算が無いと分かっていても、ムキになって挑むのよ。バカよねェ、ビジネスは競技じゃないわ。勝ち負けなんて関係ないのに、なんで勝ちたがるのかしら。一体、勝つってどういうこと? 確かに、勝った時は嬉しいかもしれない。でも、負けた時はどうなるの? 泣いたら、それで気が済むの? ビジネスは、しっかりとやることが大切なのに、勝ち負けなんて、そんな事どうでもいいのよ。ホント、オトコってバカなのよ!」。
…ははは、今夜は何も言えません。今夜のお局には逆らえませんワナ。
「もう一つ、負けないって意味、これが大切なことよ。勝ち負け、つまり勝負というのは、当たり前だけど、相手が居るから勝ったり負けたりするのよね。あたしが言う、負けないというのは、相手が居ないから負けないという意味で、そこに、勝負事は発生しないということなのよ。いい、ここが大事なところで、勝つこともないかわり、絶対に負けないという意味なのよ。誰かに勝ち誇るより、自分で出来ることをちゃんとやる、それがビジネスの本質ではないのかしら。いつも、自分と誰かを比べているから、その先に競争があり、揚句、争うようになるのよ。勝つことも負けることもなく、お客様と商品やサービスを提供する側、その両方が嬉しければいいじゃない。それが本当のビジネスではないかしら」。
…う〜ん、もう何にも言えません。確かに、その通りですヨ。アタシ達、いつの間にかビジネスは競争するのが当たり前だと思っていたし、誰かと競争するために、わざわざ競技場に足を運び、他の競技者と競い合っていたんですナ。しかも、場合によってはお客様を無視して、同業他社と争うことばっかりしていたんですヨ。
お局が言うように、一つのコースに自分が一人、そして、スタートラインで“よーいドン”とつぶやいて、しっかりと自分のペースで目標に向かって、黙々と歩く。
誰にも挑まず、誰にも迷惑を掛けず、唯々、お客様の為に働く…、大事なことです。
欧陽春君も、「せ、先輩、凄いですね。こんな話、聞いたことはありません。もし、今の中国で、競争しない、自分のペースで行け。勝つことより負けないことが大切、そんなことを言ったら、多分、誰にも理解はできないと思います。しかし、先輩の言うこと、そのうち、中国でもきっと必要になるのではないでしょうか。今は、何が何でも一番になるのが大事、追いつけ追い越せ、それしか考えていないのですが、やはり、それはマーケットが拡大している時だけのことかもしれません。マーケットが飽和状態になった時、このような考え方が大切になるのでしょうね。本当に勉強になりました」。目からウロコが落ちたようですヨ。アスパラも、お局を見る目がハート型になっています。
「さあ、乾杯! 今日は京極メアリー由美に、乾杯の音頭をお願いするぜェ!」。
部長、よほど嬉しいのか、フルネームです。勿論、アタシも嬉しさいっぱいですヨ。
「じゃあ、ご指名ですから…」、お局もちょっぴりオスマシで挨拶、そして最後に…、「競争しなくたって、狭い道をしっかりと歩いて行けば、絶対に追い越されません! 我が社の、これからの開発に、乾杯!!」
…狭い道は追い越されない。しっかりと、覚えましたヨ。
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