(前回の「肉食系研究者,人間の感情を究める」から読む方はこちら

 ITベンチャー「AGI」の社長を務め,人間の感情を認識する技術「ST(Sensibility Technology)」を確立した光吉俊二氏は,北海道札幌市の出身。地元の高校を卒業した後,多摩美術大学で芸術家への道を歩み始めた。

 その経歴はユニークだ。格闘家を志す少年時代から始まり,彫刻家という原点を経て,IT技術の研究者となり,ベンチャー企業の経営者に至る。全く関連性のなさそうな職業に携わってきた,まさに極端と極端の組み合わせである。

 だが,光吉氏にとっては,すべての経験が現在につながっている。話を聞くと,極端と極端をどこかでうまくつなぎ合わせていることに気付く。

プロの格闘家を目指して上京

彫刻家が出発点
光吉氏の作品「石洞シリーズ」の一つ
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 「なぜ,美大を選んだんですか?」。

 この問いに光吉氏は「両親に上京を許してもらうためです」と隠すことなく答えた。

 高校卒業後は格闘家になることを目指して上京したのだという。だが,「格闘家になりたい」と直球を投げても,両親に上京を承諾してもらえそうにない。そこで,小さいころから絵が上手だった光吉氏は美大への進学という隠れ蓑を選んだ。

 大学進学時には“裏技”を使ったが,学生生活の後半には恩師の言葉もあり,芸術の世界にのめり込んだようだ。大学ではボクシング部に入ると同時に,周りの女子大生の多さに負けてディスコのアルバイトなどもするなど,普通の学生と同じように過ごした。卒業制作は石の彫刻を選び,指導教授に才能を買われて大学に研究生として2年間残った。武道で鍛えた体躯とパワーで石と格闘する姿が目に浮かぶ。

 その間に建築関連の専門学校で非常勤講師を務め,大学を離れてからは,埼玉県にあるコンクリートを作る会社でアトリエを開いた。その際に,結合材に樹脂系やゴム系の高分子材料を使うポリマコンクリートという新素材に出合い,この素材を使った彫刻という新分野を開拓した。この時の作品で数々の賞を受賞すると同時に, 1990年代半ばには,東京・桜田門にある法務省の赤レンガ棟の改修工事で窓飾りの復元などを手掛けた。