それからの光吉氏は,人間の感情を工学モデルとして確立する仮説づくりに没頭した。音声から感情を認識するには,人間自体の研究が必要になる。研究はIT分野だけではなく,医学や生理学,哲学にまで及んだ。その研究で得たのが,声帯の動きが感情の影響を強く受けるという仮説だ。音声研究の大家などの指導を受け,理性では制御できない音声の基本周波数の特性と,感情の動きの関係を調べ上げた。その集大成がSTである。

バイク乗り,芸術家,研究者,経営者など多様な顔を持つ
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 30歳代での独学を本人は,「大したことないですよ」と微笑むが,STを完成させるのは,並大抵の努力ではなかっただろう。開発途上では,客員科学者として米国にも渡り,スタンフォード大学で1年間,ロボット工学関連の研究者とも議論を交わした。

 「技術者からすれば『感情って何グラムですか?』という感じですよ。モデルを作るには,現象を定量化する必要がありますから。そこで,感情はリズムだと考えたんです。もう少し言うと,宇宙を構成する要素の一つは波動,つまりリズムなんです」

 感情認識を光吉流に分析すると,素人では理解できない哲学的な答えが返ってくる。光吉氏を見ていると,東洋の哲学や宗教,世界観がコンピュータという西洋生まれの近代科学とうまく共存しているように感じる。

自然科学だけでなく,人文科学や芸術も

 私は,これからの研究開発は,自然科学と人文科学,さらには芸術までもが総合的にカバーされるべきだと考えている。人間社会で活用できる,人間社会を変える技術は,もっと人間にかかわる総合的な研究を必要としているはずだからである。

 光吉氏は,格闘家,そして芸術家として道を極め,その基盤の上に人間とコンピュータをつなぐ技術を追求してきた。もちろん,STの応用は道半ばである。ビジネスとしての取り組みは,これからが正念場だ。

 今後,光吉氏の特異な発想力による挑戦はどこまで進むのか,彼自身が異能の人だけに凡人にはなかなか想像できない領域である。だが,光吉氏が彫刻から感情認識技術にたどり着く道筋は,人類が有史以来刻んできた科学技術の進化の歴史と相似形に見える。肉食系としてガラパゴスの日本に生き残った光吉氏は,日本を変えるDNAを今に引き継いだ技術者と言えると思うのである。 

 光吉氏のように,はっきりとした目標や信念を持って技術を追求し,充実した日々を過ごす技術者の生き様は華麗に見える。彼らこそ,日本のイノベーションの原動力だと信じる。このコラムでは今後も,日本の技術者を中心にその生き方に触れ,彼らが研究や技術について感じていることを紹介していきたい。

(次のページは光吉氏に聞く「彫刻家がITに目覚めた理由」)